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2015年5月26日火曜日

Is there more to American Literature than English?

先日、エッセイ「アメリカ文学って英語だけなの?」をアップしましたが、同エッセイの英語版もアップしました。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/dy/opinion/culture_150525.html
御興味があれば。

2015年5月12日火曜日

『早稲田文学』2015年夏号にデリーロ『ホワイト・ノイズ』第6回載りました

『早稲田文学』2015年夏号にドン・デリーロの『ホワイト・ノイズ』連載第6回が載りました。
http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/wasebun2015sum.html
ゆっくりと着実に進んでいます。デリーロのテクストと日々向かい合うのが楽しいです。御興味があれば。

2015年5月11日月曜日

アメリカ文学って英語だけなの?

読売新聞のウェブ版にエッセイ「アメリカ文学って英語だけなの?」を書きました。
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/culture_150511.html
ここは早稲田大学紹介ページみたいです。
多言語の響くアメリカ文学や日本文学、という最近、僕が関心のあるテーマを扱っています。
御興味があれば。

2015年5月10日日曜日

sizeとwidth

あのさ、靴を買うとき、何を気にしている? やっぱり一番はサイズだよね。あと見た目とか防水性とか、疲れにくさとかかな。履いていく場所と目的に合うかも重要だよね。
って、一つ忘れてないかな。
width(ワイズ、ウィズ)だよ。足の幅。人の足の幅って驚くほど違う。足も三次元の物体なんだから、縦の長さだけ計ってもなかなか自分の足に合う靴は買えない。
なのにウェブショップで、サイズは書いてあってもワイズは書いていないところが多いのはなぜだろう?
反対に、たとえばニューバランスのウェブショップでは当然のように女性用、男性用の区別やワイズが、サイズと並んで書いてある。女性と男性は骨の大きさも違うから当然だよね。
http://shop.newbalance.jp/
街でお店に入って靴を見てもらうと、指先に余裕があるし、幅もちゃんと入ってますしね、なんて言われる。でも中敷きを取り出してその上にのると、足の指がはみ出していたりするんだ。どういうこと? あと、ワイズDしかないスニーカーってよくある。日本人全員が同じ足幅なわけないじゃないか。
靴屋さんでみんなが自分のサイズとワイズをきちんと言うようになれば、腰痛の人も減ったりして、日本人全体がもっと健康になれるんじゃないかと夢想している。

2015年5月9日土曜日

李鳳宇・四方田犬彦『民族でも国家でもなく』(平凡社)

李鳳宇・四方田犬彦『民族でも国家でもなく』(平凡社)を読む。すごくいいね。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b194019.html
そういえばシネカノンの映画、大好きだったなあ。アメリカの大学院にいたとき、『月はどっちに出ている』について映画の授業で発表して、韓国系アメリカ人の学生がとても強く反応してくれたのを思いだしながら読んだ。
それにしても、四方田犬彦さんは偉いね。これくらいの年代の知識人で、西洋一辺倒じゃなくて、アジアのこともしっかりと研究している人なんてかなり少ないんじゃないかな。エリアス・カネッティ『群衆と権力』について言及しながら、今日本社会を覆っているウェブ上の匿名の暴力に指摘している箇所には考えさせられた。これ、よくあるインターネット楽観論よりよっぽど説得力があるなあ。

2015年5月8日金曜日

フランス語

フランス語を大学で第二外国語として始めてから、もう四半世紀は越えているのか。それでも、ちょっと勉強しては何年もあく、というペースだから、全然上達しない。いまだに初級のあたりをふらふらとしている。
最近『コレクションフランス語』(白水社)を毎日ちょっとずつ読んでいるんだけど、これが面白い。
http://www.hakusuisha.co.jp/language/french-collection.php
簡単なようで骨があって。意外とフランス語を覚えていることを確認しながら、よくがんばっていたじゃないか、と昔の自分を褒めたりして。しかももとのバージョンは1988年だから、いい具合に古びている。
以前フランス語がものにならなかったのは、難しい本を読もうとしていたからだろう。そんな、大して語学力もないのに、ロラン・バルトやミシェル・フーコーを原語で読もうなんて、無茶もいいところだよね。結果、辞書を引きまくったあげく、何度も無残に挫折した。
最近は大人になったせいか、難しい本は偉い本だ、という思い込みもなくなった。すると、単純な会話の文章も楽しい。語学の本を作った人々が、どんなによく考えていたかがよくわかる。
この『コレクションフランス語』、以前は8巻あったんだけど、最近では5巻までしか書店では売っていない。まあ残りは古本で買えばいいのだが。うっかりしているあいだに長い時間が過ぎてしまったんだなあ、と思う。

2015年5月7日木曜日

中国語

2014年の10月からだから、中国語を勉強しだして半年以上経つのかな。
もちろんラジオ中国語も毎日聞いている。どれだけ聞いても知らないことが多くて、だから毎日が新鮮でいられる。
https://cgi2.nhk.or.jp/gogaku/chinese/
中国語で楽しいのは発音だ。とにかく、めっぽう難しい。chとzhの区別はしょっちゅう忘れるし、nとngの区別はいまだに聞き取れない。声調も急にわからなくなったりする。
けれども、だからこそ、だろうか。発音ができるようになったときの喜びもひとしおだ。中国人の先生にも習っているのだが、ごくたまに褒められると、天にも昇る心地である。
こんなにもたやすく嬉しくなれるのだから、語学はやめられない。
中国語を勉強していると、日本語の核心部分に、中国語がDNAとしてしっかりと存在することがわかる。中国語、中国文化、中国の世界観や価値観は感じを通じて我々日本語話者の中に常にある。だから対象化して考えることが難しい。だって自分自身、あるいは自分の親みたいなもんだからね。

2015年5月6日水曜日

韓国語

NHKのラジオ講座で韓国語を学び始めて一カ月経った。
インターネットのストリーミングで聞いているから、家でも職場でも、どんな時間でも聞ける。
高校時代、ラジオ英会話を聞いていたころを思いだす。学校に行く前に、毎日ラジオに耳を傾ける。不便だったけど、でもそれが修行っぽくて、けっこう良かった記憶がある。
最初は僕を拒む壁のようだったハングルが、やがて音になり、意味を持ち始める。それがとても楽しい。
そして日本語との絶妙の距離感もいい。驚くほど似ていて、でもしっかりと異なっている。
日本や日本語について考えるのに、韓国語を学ぶのはとてもいいのかもしれない。

2015年5月1日金曜日

5月17日にくぼたのぞみさんとクッツェーについて対談をします

5月17日の14時から、くぼたのぞみさんとクッツェー『マイケルK』について対談をします。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-South-Store/20150429105602.html
場所は紀伊國屋書店新宿南店で、会場は6階イベントスペース、ちょうど洋書売り場の真ん中です。
クッツェーの作品はどれも素晴らしいのですが、中でも『マイケルK』は飛び抜けています。戦争をかいくぐって放浪するマイケルが、作物を育てることに強烈な喜びを覚えるシーンは、我々に多くを教えてくれます。
単行本版、ちくま文庫版と続いてきた『マイケルK』ですが、このたび岩波文庫から改訳決定版がでました。クッツェーがついに古典文学として認められたようでとても嬉しいです。