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2014年4月24日木曜日

東直子『らいほうさんの場所』(講談社文庫)

面白い。ぐいぐい物語に引き込まれてしまう。ポジティヴなことばかり言っている女性占い師が、限りなく不幸に落ちこんでいく話。東直子の女性を見る眼がリアルで恐い。「若い肌を目の当たりにすることで、自分の水分のぬけてきている手の甲が気になってしまう。」なんてところがいい。
何度決意をしても、自殺未遂までしても、家族の物語からは抜けられない。どういう呪いがかかっているのか、らいほうさんの場所には何が埋まっているのか、さっぱりわからないまま小説は進んでいく。藤谷治さんはこの本を評して、文章は普通なのに気持ち悪さがぐんと迫ってくる、と言っていたが、そのとおりだ。
そもそも、この気持ち悪さはすべての家族に付きまとうものなのではないか。単に子供の役をやっている、親の役をやっている、なんて自分では思っていても、そうした物語の力のほうが個人よりもよっぽど強い。友だち親子なんてうそぶいても、その毒から逃れることなどできはしない。人間が生きることの気持ち悪さを直視する東直子は、ずいぶん勇気のある書き手だと思う。
彼女の歌は、頭で書かれていない。だから人間の業を掴むことができる。最近流行りの、洗練された、知能指数の高い、遊び心に満ちた作品にはない力を彼女の書くものには感じる。 僕はそういう作品が好きだ。

2014年4月23日水曜日

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』 (文春文庫)

小説論から著作権侵害事件まで様々な要素が突っ込まれた小説。いわゆる実験的といわれる手法なのだろうが、それらがことごとく面白さに貢献していることには脱帽するしかない。この作品を読んで、小説は自由なんだな、ということを体感した。こんな書き手はめったにいない。
薄っぺらな倫理が蔓延し、「文学が否定される世の中」への嫌悪に共感した。80歳近くでなお危険な香りを放つ筒井の存在は現代日本文学における宝である。

2014年4月16日水曜日

5/11下北沢フィクショネスでブコウスキー読書会やります

5月11日午後6時から、下北沢の書店フィクショネスでブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)の読書会をやります。
http://www.ficciones.jp/
場所が難しいのでよく地図を見てきてください。B&Bのある道の一本向こうの道を左に入る、といえばわかりやすいでしょうか。
Ficcionesといえば、ボルヘス『伝奇集』の原題でもありますよね。僕は前回の東直子『らいほうさんの場所』(講談社文庫)を読むという回に参加したのですが、作家で店主でもある藤谷治さんの人柄としゃべりの面白さ、批評の的確さに圧倒されました。一時間ぶっ続けで話してほんの20分くらいに思わせるなんて、並みの力量ではありません。なにより藤谷さんの小説愛に心を動かされました。
しかも一般の参加者が話したことを、次々と肯定的に広げてくださいます。僕は教師でもあるので、藤谷さんのワークショップの手法は本当に勉強になりました。
藤谷さんはたくさんの小説作品で知られています。それに加えて、藤谷さんは批評家としても優れていることがよく分かりました。国内海外問わず広く文学作品を読み、作品をそれらと結びつけながら、しかも書き手としての実感も見失わない。藤谷さんの別の魅力ももっと世の中に広まるといいな、と思います。
11日には僕は参加者の一人として発言したり、訳者としてコメントしたりします。楽しい会になれば良いな。

2014年4月13日日曜日

筒井康隆『乱調文学大事典』(講談社文庫)

何といっても付録「あなたも流行作家になれる」がいい。いい批評でも悪い批評でも読者への効果は同じで、できるだけ取りあげられる方がいい。言及が多ければ人気があると読者は思うものだから。もちろん批評家は年上のことが多いので、真に新しいものは理解できない。したがって新しい人は必ず叩かれる。だから悪評が多いうちは安心だ。批評家に褒められたところはもうやめて、けなされたところを追求するべき。そうすればますます批評家に叩かれて、読者からの人気も出る一方だ、なんて議論は説得力がある。その後に筒井康隆がなし遂げてきたことを見れば、彼の考えが正しいことはよく分かる。
だが、ある程度年齢がいき成功を収めて、誰もが褒めそやすようになったらどうすればいいのだろう。筒井の論に従えば、書き手は大きな危機を迎えるのではないだろうか。 おそらく、古典と年下から学び続けるということなのだろうが、むしろそこからのほうが容易ではないだろう。筒井の正直さと親切さがよく分かる本。

The Blankey Jet City, Red Guitar and the Truth. (東芝EMI)

「あてのない世界」が気になって久しぶり聞いた。哀切としか言いようがない浅井健一のボーカルが素晴らしい。芸術はこういうものでなければいけない。「真実」という言葉が胸に突き刺さる。

2014年4月12日土曜日

週刊現代にポール・オースター『写字室の旅』 について書きました

週刊現代4/26号にポール・オースター『写字室の旅』(柴田元幸訳、新潮社)について書きました。
オースターは現在、『ムーン・パレス』(新潮文庫)以降の物語が強い諸作品がよく読まれていますが、サミュエル・ベケットやモーリス・ブランショなどに影響を受けた初期の作品の魅力も捨てがたいです。ちなみに、僕はオースターの最高傑作は『最後の物たちの国で』(白水Uブックス)だといまだ思い込んでいます。
今回の作品はオースター初期の魅力がまた戻ってきた点で画期的なのではないでしょうか。『写字室の旅』を通じて、抽象的でミニマルなオースターの魅力に再び気づいていただければ嬉しいです。

筒井康隆『文学部唯野教授の女性問答』(中公文庫)

これも『文学部唯野教授』の関連本である。軽い問答形式だが、言っていることは深い。
宗教は「他人の不信心を軽蔑するための宗教であってはならない」とか、社会正義とは「自分の身の安全や利益を考えて権力のいいなりに」ならないことだ、だとか、本当に大事なことが書いてある。寛容さや批判的精神について語るなんて、まるでジョン・ロックやルソーのようではないか。だいたい、アリストテレスの理論について本気で解説しようとする作家なんて見たことない。
筒井康隆の真面目さと倫理性がよくわかる本。

2014年4月11日金曜日

筒井康隆『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文春文庫)

『唯野教授』が面白かったので関連書籍も購入。驚いたのは「自分だっていつ人殺しをするかわかんないって想像できない人が小説家やっちゃいけない」といった表現だ。そういえば20年前はこういうことけっこう聞いたのに、どうしていつの間にか作家といえば、人前でなんとなく立派なことを言う常識人、というイメージになったのだろう。ほんの少し前の本なのに、まるで日本語を使う別の国の作品のようだ。
「これどこかで読んだなあ」と思わせるのが大衆文学とか、理論を学びすぎると無意識が出てきにくくなるとか、卓見が目白押しである。 それにしても筒井康隆は本当によく勉強している。それだけでも圧倒された。ガダマー読もう。ハイデガー読もう。

2014年4月9日水曜日

筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)

いやあ、暴力的なまでに面白い。ほぼ20年ぶりに読み返したが、どうしてこんなに引き込まれるのだろう。もちろんほぼ四半世紀前の本ということで、いい具合に古びているのだがそこがいい。この20年間に日本文学はお行儀がいい、誰にとっても恐くないものに成り果ててしまったのだと気づかされる。そして筒井康隆が現在も生き、書き続けていることがどれほどの僥倖かということがよくわかる。
以前読んだときは大学人の生きざまにばかり目が行ったが、今回は各思想家の紹介の仕方に深く感心した。どの思想家の著作もちゃんと読んで書いていることがよくわかる。これは、なかなかできることではない。しかもそれを本当にわかりやすく、学部生にも楽しめるように翻訳しているのだから凄い。とくにハイデガーのところなんて、本当に優れている。
大胆な通俗化、単純化も恐れず突き進む筒井康隆の姿勢に圧倒された。文学とその読者に対する強い愛に基づいていなければできないことだ。

2014年4月2日水曜日

毎日新聞にドン・デリーロについて書きました

毎日新聞にドン・デリーロについて書きました。
難解だという印象が強いデリーロですが、読んでみればよく練られた文章と、現代日本に生きる我々にも説得力のあるアイディアに満ちています。死、環境汚染、メディアの作るイメージと現実とのずれなど、興味深いテーマを繊細な文章で彼は語り続けています。次にアメリカでノーベル賞を獲るのは彼なのでは、とまで言われる存在であるにもかかわらず、どうして日本ではいまだあまり受け入れられていないのか不思議でなりません。
今回はデリーロの作家としての出発点であるケネディ暗殺と、それを見事に作品化した『リブラ』(文藝春秋)について書きました。残念ながら絶版ですが。でも、デリーロ入門としては手頃な短篇集『天使エスメラルダ』(柴田元幸他訳、新潮社)も最近出ています。文庫では『ボディ・アーティスト』(ちくま文庫)もあります。ここらへんからデリーロの豊かな文学世界を体験していただければ嬉しいです。

デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら』(星和書店)

物事が上手くいかない。人間関係がこじれる。どうして自分はダメなのか。そして限りなく自分を責め、落ちこんでいく。
生きているかぎり人間は自分と一緒にいるしかないし、自分は自分に合う考え方しかしないので、どうしても自分の考えが正しいように思ってしまう。でも、と本書は言う。それって反論の余地はないのかな。あるいは、現実に則した考え方なのかな。
1980年にアメリカで出版されて以来、多くの人々を救ってきたのがこの『いやな気分よさようなら 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』だ。認知療法をわかりやすく解説したこの本は、自分が自分に対して行う攻撃を、現実に則して効果的に反論し跳ね返す方法を教える。キーワードは「認知のゆがみ」だ。
なぜかはわからないが、僕たちは自分に不利になるように現実を捉える思考の癖を持っている。バーンズによれば、それは10のパターンがある。それを認識して、そのパターンのおかしさをきちんとつかめば、もっと現実に則して考えることができる、というのが認知療法の基本的な思考法だ。
具体的には以下のとおりである。

1 全か無か思考。うまくいくか、完全な失敗かの二つしかないと考えてしまう。でもそんなことある? 実際はいつもその中間なんじゃないの。
2 一般化のしすぎ。一つ上手くいかないと、いつもなんでもうまくいかないと思ってしまう。でも上手くいくときもあれば、上手くいかないときもあるのが現実じゃないの?
3 心のフィルター。一つ悪いことがあるからと、そのことばかり考えて人生すべてが暗くなる。でもさ、いいことだってたくさんあるよね。
4 マイナス化思考。上手くいったことは自動的に無視して、できないこと、失敗したことばかり覚えている。そして自分を責めたててしまう。でも、ちゃんとできたことって毎日いっぱいあるよね?
5 結論の飛躍。無根拠に悲観的な結論を出す。
a心の読みすぎ。あの人は私が嫌いだからこうしたんだ。でもそんなことどうしてわかる? 他人の気持ちが直接わかればあなたは超能力者だ。
b先読みの誤り。このまま事態は悪くなるに違いない。でもそれがわかればあなたは予言者だ。
6 拡大解釈と過小評価。自分の欠点は拡大解釈、他人の長所も拡大解釈し、自他を比べて落ちこむ。でもそんなに自分はできない人間かな。そんなに他人はできているのかな。
7 感情的決めつけ。こんなに落ちこんでいるんだから現実は最悪に違いない。でも、自分の感情が正確に世界を反映しているんだろうか?
8 すべき思考。「~したい」ではなく、「~すべき」「~すべきでない」というべき思考で物事を考える。するとできない自分を罰し、できない他人を攻撃するようになる。でも大抵のことは、やってもやらなくてもいいのでは? そんなに固く考える必要ってあるのかな。「べき」は法律で十分では。
9 レッテルはり。一つ失敗をすると、どうせ自分は「ダメ人間」だ、と思ってしまう。でも100%ダメなばかりの人っているのかな。いちどレッテルを張るといつもそうだと考えがちだが、それは現実に則していないのでは。
10 個人化。近くに辛そうな人がいると、自分のせいでその人が辛いのでは、と思ってしまう。でもさ、それじゃあ他人の気分は全部自分の責任なのかな。他人すべてをコントロールする力があるゆえに責任も持つ、ということならば、あなたは神に近い存在になってしまう。でも実際にはただの人間だよね。(35ページより)

これだけでも僕は強い衝撃を受けた。いやあ、自分は認知がゆがみまくっているな、と思ってしまった。
認知を正していく方法は本書に細かく書いてある。おそらくどんな人も、一読したら気持ちが軽くなることだろう。実にありがたい。存在することが奇跡のような名著。


2014年4月1日火曜日

金原瑞人『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(ポプラ文庫)

あまりにも洒落たタイトルが本当のことだと知って驚く。経緯は本を読んでください。訳書300冊以上(!)であり、マイノリティ文学から古典まで幅広くてがけ、日本にヤングアダルトという概念を定着させた偉大なる金原さんの著書。
軽い親しげな文体で書かれているこの本だが、その芯にはものすごく筋の通った意志が感じられる。文学賞をとっていなくても、読んでみて面白ければ訳してみる。落ち穂拾いのごとく、マイナーな作品でも気に入れば粘り強く出版社と交渉し続ける。読者にすれば当たり前のことでも、実際に翻訳者となれば、それをやり通すことは難しい。しかも30年も続けているとは。ただただ頭が下がるばかりだ。
僕がドミニカ共和国出身の作家、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』なんかをスッと訳せたのも、金原さんのような先輩が本の世界を拡張していたからだということがよくわかる。本当にありがとうございます。