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2014年3月25日火曜日

坂口恭平『TOKYO一坪遺産』(集英社文庫)

どうして人間は地球を作ったわけでもないのに土地を私有できるのか。しかも金さえあれば広大な土地を手に入れられるのか。ルソーは『人間不平等起源論』でそう問いかけた。坂口恭平も問いかける。「この地球上に生まれた人間はそれぞれ皆平等に空間を分かち合うべきなのだが、どうもその根源的な常識は全く無視されている状態である」(179)。こういう、18世紀人と同じ疑問を抱く人は大好きだ。なぜならそれは根源的な問いだからだ。
一方で、ジョン・ロックは一見、土地の私的所有を認めているような感じがある。でも実際に『市民政府二論』を読んでみれば、彼は自分が耕して、自分が食べるための作物を作るだけの土地の私有を認めているにすぎない。
しかし、資本主義社会はそうは運営されていない。もっと多くの仕事、もっと多くの金、もっと多くの土地を持った者が評価される。僕らの体力も人生も、太古の昔から限界があるのに。「有限の世界で、物を作り続けることには限界がある。人間の数よりも家の方が多いというのはやはりおかしいのである。しかも、そこは値段が高くて住むことのできない人もいる。家は余っているにもかかわらず、人がそこを利用できないのである。人の住む場所が問題になっているのに、巨大な野球場があること自体がそもそも不思議な現象だと僕は思うのだが」(22)。
こういう古くて新しい、至極まっとうなことを、わかりやすい言葉で言う人が評価される時代がきてよかった。本質について自分の言葉で語ることの力を坂口恭平に教えてもらった。