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2014年2月25日火曜日

石牟礼道子・伊藤比呂美『死を想う』(平凡社新書)

日本ってこんなに豊かで深い言葉に満ちた場所だったのかと思う。刺されて死んだ遊女の思い出や、アメリカ軍の飛行機の機銃掃射を間近で見る体験に、『梁塵秘抄』や浄土真宗の言葉が響きあう。農民の想い、浄土への祈りが広大なアジアにまで広がっていく。時間も、空間も、複数の言語も超えた共振の空間が日本なのに、そこへのアクセスを失った僕らはなんと貧しいことか。石牟礼道子の紡ぐ言葉を、もっと遠くまで辿っていきたい。

2014年2月24日月曜日

ジョナサン・カラー『新版ディコンストラクション』(富山太佳夫・折島正司訳、岩波現代文庫)

困ったときのジョナサン・カラー頼みということ言葉があって、というかないのだが、ディコンストラクションだろうがなんだろうが、この人の手にかかるとなんでもよくわかる。この本もそうで、難しい概念や論述の流れが、実にわかりやすく解説されている。たとえばこの本を読んでからポール・ド・マンの『読むことのアレゴリー』なんて読むと、まあよく分かって嬉しくなる。
おそらく普段のカラーもすごくいい先生なんだろうな、と思う。教師として必要なのは大胆な単純化と、難しそうな本もとにかく読んでみようという勇気を学生に与えることの二つで、カラーはどの本でもその両方を見事になし遂げている。
僕は30歳くらいになってからようやく大学院でちゃんと教育を受けたので、自分より10歳ほど下の人たちと気分を共有してきた。そしてその結果として、上の世代の政治理論嫌いにも、下の世代のディコンストラクション嫌いにもなじめない。理論の初心を知れば、デリダだってサイードだってものすごくちゃんとしている。
そこらへんのコミュニケーションギャップを埋めてくれるのがカラーだ。だから信頼できる。

2014年2月23日日曜日

江國香織さん、ジュノ・ディアスさんと鼎談します

3月1日に渋谷タワーレコードのカフェで江國香織さん、ジュノ・ディアスさんと鼎談をします。
http://tokyolitfest.com/program_detail.php?id=34
タイトルは「短編小説で学ぶ「失恋入門」」です。江國香織さんの『きらきらひかる』『神様のボート』など英語版がある作品と、ディアスさんの『こうしてお前は彼女にフラれる』なんかの話ができればなあ、と思っています。意外な取り合わせにも思えるでしょうが、 江國さんはディアスさんの短篇集に、熱烈な書評を書いてくださっています。
http://mainichi.jp/shimen/news/20130929ddm015070047000c.html
どういう話になるのか今から楽しみです。

ポール・ボウルズ『優雅な獲物』(四方田犬彦訳、新潮社)

ボウルズはすごい。あまりにも残酷すぎて笑ってしまう。すぐに人が殺される。慰み物として売られてしまう。作品が近代文学の外側に易々と出て行く。いや、これは文学なのかもわからない。人類学なのか、神話なのか、妄想なのか。とにかく、アメリカ現代文学の枠組みでは全くわからないのは確かだ。
『優雅な獲物』も、モロッコの人々が主に登場する。翻訳の文章が素晴らしい。物語の展開の速さと強度に圧倒される。実にいい本だ。もちろん版元品切れである。あーあ。
20年前はあんなにボウルズをみんな読んでいたのに、どうして今は『モロッコ幻想物語』しか買えないのか。しかも収録されているのはボウルズの主要作品ですらない。みんなすぐに物事を忘れすぎだよ。

2014年2月22日土曜日

紀伊国屋書店新宿南店でワタシの一行フェア

紀伊国屋書店新宿南店で「ワタシの一行」というフェアを行っています。
これも東京国際文芸フェスティバルがらみなんでしょうか。

僕はジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』から一行選びました。ご興味があれば。

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01

『GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01』が3月1日に発売されます。
僕はタオ・リンの『ファイナルファンタジーⅥ』という短篇を翻訳しています。明らかにタオ・リンだと思われる主人公が、『ファイナルファンタジーⅥ』をやったり太宰治『人間失格』を読んだりしながら、台湾人の両親と日本について語り合う、という作品です。なんてことない話しか書くまい、という最近のタオ・リンの凄味が詰まった作品です。
RPG関連の監修はジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』に続いて岡和田晃さんにやっていただきました。これほど何でも知っている人が他に世の中にいるんでしょうか。僕よりかなり若い方ですが、本当に尊敬しています。
他にも、目次を見るとなにやら楽しそうな雑誌になっています。今回はイギリス側が日本の作品をチョイスしているので、海外の人にはこういう作家が面白いんだ、ということがわかるのも興味深いです。

村田沙耶香「清潔な結婚」
岡田利規「ブレックファスト」
デイヴィッド・ミッチェル「ミスタードーナツによる主題の変奏」(藤井光訳)
ルース・オゼキ「つながり」(久保尚美訳)
中島京子「おぼえていること、忘れてしまったこと」
タオ・リン「ファイナルファンタジーVI」(都甲幸治訳)
川上弘美「Blue moon」
小山田浩子「彼岸花」
ピコ・アイヤー「パッケージの美しさ」(小山太一訳)
キミコ・ハーン「日本の蛍烏賊を見ると」(阿部公彦訳)
濱田祐史「Primal Mountain」 アンドレス・フェリペ・ソラーノ「豚皮」(柳原孝敦訳)
円城塔「Printable」
デイヴィッド・ピース「戦争のあと、戦争のまえ――九曲橋の上の芥川龍之介、上海、一九二一年」(近藤隆文訳)
アダム・ジョンソン「屍肉食動物(スカベンジャーズ)」(堀江里美訳)
うつゆみこ「はこぶねのそと」
本谷有希子「〈この町から〉」
レベッカ・ソルニット「到着ゲート」(高月園子訳)
星野智幸「ピンク」
横田大輔「from Site」

菅原裕子『子どもの心のコーチング』(PHP文庫)

またもや名著である。褒めない、叱らない、物でつらない育児というのが衝撃。褒めるのは依存させて精神的に支配しているだけ、叱るのは親の感情の捌け口にしているだけ、もちろん物でつるのは問題外。だとすればどうすればいいのか。
「人の役に立つ喜び」を教えるというのが菅原さんの答えである。「新聞をとってきてくれたからおかげで読めて嬉しいよ。ありがとう」と親に言われたら子どもはどれだけ喜ぶか。人の役に立つことこそが人間の根源的な喜びであると菅原さんは論じる。 これは僕にとっては革命的な考え方だ。だってそうでしょう。人の役に立つには必ずしも優れている必要はない。自分なりに、ちゃんと相手のことを考えればいいのだから。優れていなくても、平凡でも、存在しているだけで十分に生きている価値がある、というのが菅原さんの著作全体が発しているメッセージだと思う。
「人の役に立つ喜び」を実感させるには、声を掛ける方が自分の感謝や喜びなどの感情をきちんと言葉にすることが必要だと菅原さんは言う。うーん、客観的・論理的に語る訓練は学校で受けてきたけど、自分の感情に焦点を当ててちゃんと言葉で表現するのは難しいよね。でも良い感情を贈物として交換できる関係があれば素晴らしいということはよくわかる。こういうのも練習かな。

2014年2月21日金曜日

3月3日アレクサンダル・ヘモンと対談します

3月3日19時からアレクサンダル・ヘモンと紀伊国屋書店新宿本店で対談します。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20140220211142.html
http://tokyolitfest.com/program_detail.php?id=53
『我が人生・我が文学』というタイトルで、去年出た自伝的エッセイThe Book of My Livesを中心に作品について縦横に語っていただきます。僕はボスニア出身のアメリカ作家ヘモンの奇妙な味の短篇が大好きなので、一体どんなふうに思いついているのか、なんて話も聞いてみたいなあ、と思っています。ご興味があれば。

ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』 (作田啓一訳、白水Uブックス)

今まで読んだルソーの本のなかではこれがいちばん好き。
共同体がなければ社会的な自由はないとか、権力はすべて人民に由来しており、政府は単に委託されているだけだとか、言われてみれば当たり前だけど、日本では必ずしも常識になっていないアイディアが満載である。一言で言えば、政府は自分たちが自分たちのために作るんだ、という意志だろうか。
 ルソーは日本ではいまだ未来の思想家なのだろう。「市民がいっそう人口を増し、ふえてゆくような政府こそ、間違いなく最良の政府である。」(127)なんてものいい。根本的に考えることの力を教えてくれる本である。

2014年2月20日木曜日

紀伊国屋書店新宿南店6階でフェア


紀伊国屋書店新宿南店6階でフェアをしています。
月末から始まる東京国際文芸フェスティバルと、『グランタ』日本版発刊にちなんで、フェスの来日作家と『グランタ』日本版、そして過去の号に掲載された作家の作品30冊ほどを選んでみました。全冊コメントを考えました。近日中にポップが林立するのではないかと思います。ご興味があれば。

2014年2月12日水曜日

江國香織『きらきらひかる』(新潮文庫)

夫がゲイで妻が精神不安定って、人を愛することについて考える上で最高の設定だと思う。セックスがなくて、なんとなく互いの存在に慣れることもないってことだから。愛の痛みと喜びを感じさせてくれる作品。江國香織の小説は擬音っぽい表現がいい。「とろっと深い金色」みたいな。こういうのだけで幸せになる。

2014年2月10日月曜日

小山田浩子『穴』(新潮社)

犬のような狸のような名前のない動物、イタチ、アロワナなど、動物たちが異界に誘ってくれるというのはいい。村上春樹の猫みたい。40年くらい前の感じの子どもたちが河原でたくさん遊んでいる場面が美しかった。

2014年2月9日日曜日

菅原裕子『コーチングの技術』(講談社現代新書)

最近、教えることについて悩んでいた。親切に教えれば教えるほど、むしろ相手の考える力や生きる力を奪っているのではないか、という疑問にさいなまれていたのだ。この本は明瞭にこの疑問に答えてくれた。
ヘルプとサポートの二つの概念について菅原は語っている。ヘルプは、飢えている人に魚を釣って与えてあげるようなこと。社会的には褒められるし、相手にも感謝されるが、結局永遠に相手は一人では生きられるようにならない。 死なないでいる人を作るだけの手法だ。しかも相手を自分に依存させてしまう。反対にサポートは、魚の釣り方を教えてあげるようなことだ。魚を釣って生きるという相手の潜在能力が発揮されるように仕向け、最短で自分から相手を独立させる。依存関係も発生しない。
これは目から鱗だった。僕は自尊感情が欲しくて、今まで相手を自分に依存させていたのかもしれない。じゃあどう変わればいいんだろうか。
菅原は言う。ティーチングからコーチングへの変換を遂げればいいのだと。ティーチングとは、能力がなく知識がない相手に上から授けること。これには限界がある。コーチングは、潜在能力があり、十分に知識を持っている相手に、それを発揮できるような支援をすること。重要なのは、ティーチングもコーチングも相手そのものは同じだということである。ただこちらの見方が違うだけなのだ。
確かに、働きかけられる方の立場から考えれば、自分を尊敬してくれない相手に何かをやらされるくらい嫌なことはないよね。コーチングについてもっと学びたくなった。名著。

2014年2月8日土曜日

江國香織『神様のボート』(新潮文庫)

母と娘がさまよっている。ある土地に慣れると、すぐに引っ越してしまう。おまけに古い友人や親族にも連絡を取らない。なぜか。女のお腹に子供ができていることも知らぬまま、男が姿を消してしまったから。必ず戻ってくる、どこにいても見つけてみせると言ったから。そして瞬く間に16年の月日が流れてしまう。
必ず戻ってくるという約束を、母は頑なに信じている。こうなるとまるでキリストだ。そしてその信念を貫くために、家庭と世界のあいだには堅い壁を張りめぐらされる。一人でやっているならいい。でも娘を巻き込んだとき、それは極小のカルトになる。その中にいることがどれほど心地よくても、むしろ心地よければよいほど危険さは増す。
それにしても、母娘の関係というのはキツいなあ。お互いにいちいち言わなくても心の動きがわかりすぎるほどわかってしまう。でも黙って娘が母親の言いなりになんて、とてもなっていられないほど、全くの別人だ。しかも娘は、自分の意見を言いながら同時にお母さんがかわいそうだと思う。けれども言わなければとても生き続けられない。こういう共依存っぽい関係は普通のことなんだろうか。
娘がこの極小の世界をどう断ち切るかが圧巻である。そして男は戻ってくるのか。戻ってきたとして、それは現実の世界での出来事なのか。家族、救い、物語、愛情など、様々なことを考えさせてくれる。感情を巻き込むあまりの力に、読後しばらく酔ってしまった。

堀部篤志『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン社)

僕が日本一好きな書店である、京都の恵文社一乗寺店の店長が書いた本。たまたま以前、恵文社一乗寺店に行ったとき、トキメキの量が半端ないのにただただ驚いた思い出がある。こんな本がある、古本もある、なんだか雑貨もある、出会いが嬉しいだけでなく、同じ本が違う文脈で複数の場所にあるのに驚いた。フロアの中央部に奇妙な感じでトイレがあるのにも驚いた。どうしてこんな書店ができあがったんだろう。それからすごく気になっていた。
そのあと作家の松田青子さんに会ったとき、 恵文社一乗寺店の店員だったことがあると聞いて棚をどうやって作っているのか訊いたことがある。店長は店員に棚をまかせて好きにさせてくれる、と教えてくれた。好きを全面に出しても許される雰囲気づくりが大事なのかな、と思った。
この本で堀部さんは、インターネットとかグローバリゼーションとかに対抗するあり方を模索している。お金をかけない、手作りに徹する、実際に会って顔を見ながら話す、自分の好きな気持ちに正直に商品を選ぶ。どれも流行とか効率とか大儲けとかとは無縁で、だから信頼できる。みんな同じことをやっていてもつまんないもんね。

2014年2月4日火曜日

江國香織『つめたいよるに』(新潮文庫)

8ページほどしかない超短篇が詰まった本。最初の「デューク」でもうノックアウトされた。犬が死に、悲しみに暮れて町をさまよう女性に男の子が声を掛けてくる。理由など訊かずとにかく一日付き合ってくれ、最後にキスをしたとき、その感触で彼が犬のデュークだったとわかる。ああ。一本ごとに感情が高まりすぎてなかなか読み終わらない。200ページしかないのに。実らぬ恋に少女が鳥に変わってしまう「桃子」も良かった。エイミー・ベンダーみたいな不思議な短篇が好きな人におすすめ。

2014年2月1日土曜日

毎日新聞にダン・ファンテについて書きました

2月4日付け毎日新聞『世界文学ナビ』にダン・ファンテについて書きました。
『天使はポケットに何も持っていない』(河出書房新社)を読むと、ジョン・ファンテ、チャールズ・ブコウスキーときたロサンゼルス文学の流れはまだまだ枯れていないことがよくわかります。アル中の主人公が父親の死に際して、泣きながら、吐きながら、苦しみながら、やがて父親の遺志を継いで作家になろうと思う気持ちの赤裸々さに胸が掻きむしられます。本当にいい本です。
他にもダン・ファンテにはいい本がいっぱいあるのですが、ぜんぜん日本語訳が出ません。というか、唯一の日本語版も版元品切れです。なぜ? いつか訳してみたい作家の一人です。

町田康『人間小唄』解説書きました

町田康『人間小唄』の解説を書かせていただきました。人生最初に書く文庫解説が尊敬する町田さんの本だなんて、あまりにもったいなさすぎます。素晴らしい機会を与えてくださった町田さんと講談社文庫のみなさんには本当に感謝しています。
内容についてですが、町田康作品に流れる革命感覚をルソー『人間不平等起源論』や安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』に触れながら論じました。ルソーも『告白』、町田康も『告白』、なんて書いていたらノッてきてしまいました。
こういう町田作品の理解の仕方もあるんだと思っていただければ嬉しいです。

トニ・モリスン『ホーム』帯文書きました

トニ・モリスン『ホーム』(早川書房)の帯文を書かせていただきました。人生初の帯の仕事でドキドキでしたが、やってみたら楽しかったです。やっぱりこの『ホーム』という本が素晴らしいからだと思います。主人公の男性が、こっそり人体実験をしている医者の家から妹を救い出す、そして彼女をコミュニティの女性たちが伝統療法のようなもので癒すという話ですが、モリスンはとにかく文章の力が凄まじいです。ノーベル賞作家であるモリスンを知ってはいても敬遠しているという人も多いでしょうが、読まないと人生の楽しみを損していると思います。