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2014年1月27日月曜日

エドワード・W・サイード『人文学と批評の使命』(岩波現代文庫)

これを読めば誰でもサイードのファンになってしまうのではないか。効率ばかりの世の中で人文学は、一見無駄なことをし続けることを通じて、きちんと批判的に考え続けるための防波堤になれる、と言われるとそうかそうかと思う。もちろんその先を考えるのは残された僕らの役目なんだけどね。
先日"The World, the Text, and the Critic"という彼の論文を読んで知的なレベルのあまりの高さに圧倒された。後書きで富山太佳夫が言う、いまだド・マンとサイードが英語圏現代批評の二大高峰であるという言葉は完全に真実だと思う。

佐藤優『甦るロシア帝国』(文春文庫)

とにかくモスクワ大学で佐藤が教鞭を取っていたころ、どう学生と触れ合っていたかのところが素晴らしい。知的に持てるものすべてを真剣に差し出し、ときには過剰とも思えるほど彼らを支えてしまう。ロシアの将来のエリートを支えることは、対日感情を良くするという点で日本の国益にもなる、なんて言っているが、それだけではないことは教師をやったことがある者は誰でも知っている。目の前に伸びている人がいれば、単純に手を差し延べたくなるものだからだ。それはおそらく、その場所に命が湧き出ているのを感じるからだろう。
だからこそ、崩壊する経済の中、家族を支えるために金持ちの愛人になってしまう学生の場面は悲しい。でもそれで人生終わりじゃないんだよね。学ぶことはずっと続くんだから。

2014年1月19日日曜日

佐藤優『私のマルクス』(文春文庫)

浦和高校から同志社大学神学部にかけての自伝的エッセイ。というか、もうこれは小説でしょう。同志社大学の濃密な人間関係に嫉妬する。自分が過ごした大学時代とのあまりの違いに驚く。こんなふうに、尊敬と熱意を持って対話を続けるというのはいいなあ。神学部の教師たちの思慮深い振る舞いに胸が熱くなる。大学は真理を求めるところ、という佐藤の思いに心揺さぶられた。さて、今、僕に何ができるんだろう。

スピヴァク『ある学問の死』(上村忠男・鈴木聡訳、みすず書房)

スピヴァクが現代における文学研究のあり方について語っている本。ちゃんと外国語を学んで、じっくり時間をかけて、テクストに書いてあることを尊重しながら、他者に対する想像力を駆使して読むという地道な作業を続けること。そして決してわかったつもりにならないこと。こうしてまとめてしまえばあまりにも当たり前なことを、スピヴァクは本一冊を費やして延々と語る。
スピヴァクのこの作業が無意味ではないのは、僕らが短時間で、効率よく、情報をまとめて結果を出す、というイデオロギーにあまりに取り込まれてしまっているからだ。時間をかけてわからなさに向かい合うという気持ちがなくなったら、文学も人間関係もおしまいだよね。

2014年1月15日水曜日

佐藤優『人間の叡智』(文春新書)

現代を生きるためにこそ古典を読まなくては行けないというメッセージがいい。マルティン・ブーバー『我と汝』の話が良かった。僕らは人間をモノ扱いしてはいけないのだ!

ゲイリー・シュタインガート『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』(NHK出版)

1月10日の『週刊読書人』にシュタインガートの書評書きました。前々から気になっていたシュタインガートだけど、結局日本語で読むことになってしまいました。テンション高めのギャグは最初どうなんだろう、と思ったけれど、結局はシリアスな主題に移行するための前置きなのでした。内乱状態になったアメリカ合衆国でインターネットがダウンし、繋がらなくなったスマートフォンを握りしめて次々と若者が自殺するところなんて最高です。どうして人生には老いや死があるのかという問いはドン・デリーロ『ホワイトノイズ』にも通じますよね。

2014年1月14日火曜日

中村うさぎ・佐藤優『聖書を語る』(文春文庫)

この対談がすごいのは、中村うさぎの言葉づかいが男っぽく、佐藤優の言葉づかいが女っぽいことだ。しかも佐藤は言論界におけるマッチョ主義への違和感も語っている。うーん、パフォーマティヴ。「他者に対して心を開く力は人間の手が届かない外部から来る」という彼の認識がいい。敬虔さと謙虚さの力。

ポメラ

最近ポメラのDM100を使っている。これ、ウェブも印刷もできない、言ってみれば単なるワープロなんだけどそこがいい。目が疲れない、体が疲れない、心が疲れない。しかもインターネットと繋がらないから仕事をするしかない。これでじわじわ翻訳なんかやっていると気持ちいい。なんでもできるスマートフォンのあとは、ほぼ何にもできないこうしたものがくると思う。単機能、あるいは無機能がかっこいい。なんだか禅みたい。

2014年1月8日水曜日

佐高信・佐藤優『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える1000冊」(集英社新書)

読書家の二人が凄まじい勢いで本について語り合う本。やっぱり佐藤優は面白い。古くていい本をたくさん読むことでしか人間は鍛えられないとよくわかる。
佐藤優の強みは、何といっても沖縄系二世であることなのではないか。だからこそ、日本をウチナーとヤマトという二つの視点から見ることができている。  日本という枠組みをちゃんと自由に出入りできる人は日本語圏にはすごく少ない。佐藤優の作品もまた、日本のマイノリティ文学として考えるべきだと思う。

鎌倉孝夫・佐藤優『はじめてのマルクス』(金曜日)

マルクス『資本論』を巡る師弟対談。現代社会において「カネ」と「命」のどちらが大切かという問いがこの上ないほど切迫して提出されているという鎌倉先生の問題意識に共感する。
「教育というのは、それぞれが自分の専門を生かしながら、みんなが協同して、子どもたちというか学生たちと直接触れあい、教育を行ないながら、彼らのいろいろな悩みとか希望を聞く。人間と人間の直接の関係ですから、毎日毎日状況は変わりますよね。ですから教育の仕事というのは、それこそ創造的なんです。それが教育の基本なんです。」(76ページ)という鎌倉先生の言葉に心が大きく動いた。同時に、僕も教師として教育の仕事ができている幸福と責任を痛感した。
まず自分ができることとして、家族でも教育現場でもいい、カネの介在しない関係を大切にすることだ、という鎌倉先生のお考えに大きくうなずく。

2014年1月2日木曜日

名越康文・藤井誠二『40歳からの人生を考える 心の荷物を手放す技術』(牧野出版)

挑戦し続けるのはいいことだ。でも体力には限界がある。体の使い方には法則がある。だから無理は続かない。そんなことも分からないで生きてきてしまうから、40代で突然辛くなる。ときには心も病む。
それが当たり前のことだと実感できないところに、日本の男性の生き方の問題がある。だって、誰も休み方とか、体を痛めない動き方とか教えてくれないからね。それで鬱になっても腰痛になっても文句は言えない。むしろ体の側からのこれ以上ないほどリアルな教育なのではないか。
対談であるこの本では、体の声を聞き、自分を超えたものへの敬虔さを持つことが生き延びるための筋道であることが繰り返し論じられている。貝原益軒『養生訓』でも『歎異抄』でもとっくに言われていることだけど、それでもまだ僕らは気づかない。
現代の資本主義は無限の拡大と蓄積を目指すけど、僕らは生き物だから、そんなこと続けられないんだよね。できるのは質的な向上と削ぎ落とすことだけだ。そうしたことについて考えさせてくれる本。