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2014年12月17日水曜日

『ラジオ版学問ノススメ』に出演しました

『ラジオ版学問ノススメ』に出演しました。
http://www.jfn.jp/RadioShows/susume
主にどんな気持ちで『生き延びるための世界文学』を書いたかについてしゃべりました。
パーソナリティの蒲田健さんは本当に優秀な方で、会話している内に新しいアイディアがどんどんと生れてきます。プロの力を知りました。ラジオで長時間話すのは初めてだったのですが、とてもリラックスして楽しく過ごすことができました。ありがとうございます。
この音声はラジオとポッドキャストで聞くことができます。

ラジオ放送日程
FM山陰 1月4日(日)朝8時
FM徳島 1月4日(日)朝8時
FM大分 1月4日(日)朝8時
FM群馬 1月4日(日)19時
FM新潟 1月5日(月) 12時(正午)
広島FM 1月8日(木)朝4時
FM栃木 1月11日(日)朝4時

ポッドキャスト日程
1月6日配信スタート
聴取サイトはjfn、またはiTunesからのダウンロードです。
http://www.jfn.jp/susume
https://itunes.apple.com/jp/podcast/id216964966?i=83076596

『BRUTUS』12月15日号「読書入門。」にインタビューが掲載されました

『BRUTUS』12月15日号「読書入門。」にインタビュー「国境のない文学に触れてみる」が掲載されました。
http://magazineworld.jp/brutus/brutus-special-792/
クッツェー、ボラーニョ、ディアスなど複数の国を移動している作者の書いた、僕の大好きな8冊の紹介と、こうした新しい世界文学に関するインタビューが載っています。海外の音楽を聞くときのように、海外文学もあまり構えず楽しんでほしいな、と思ってしゃべりました。
阿久根佐和子さんの原稿は本当に力が入っていますね。素晴らしいです。どうもありがとうございます。

朝日新聞12月16日夕刊にインタビューが掲載されました

朝日新聞12月16日夕刊にインタビュー「文学は、生きる力に 都甲幸治、世界24作品の書評集」が掲載されました。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11510538.html
読むには会員登録が必要なようです。
『生き延びるための世界文学』で言いたかったことを、芯のところで捉えてくださっています。ありがとうございます。すごく嬉しいです。

2014年11月20日木曜日

『週刊読書人』にクッツェー、オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』書評を書きました

2014年11月14日付けの『週刊読書人』にクッツェー、オースターの往復書簡集『ヒア・アンド・ナウ』の書評を書きました。
http://www.dokushojin.co.jp/
今どきオースターがタイプライターで書き封書で送ると、クッツェーがファックスで返事を返すという書簡集が、どうしてこんなにもスリリングなのでしょう。大の大人が本気になって対話をするとき、そこに誰も予想しない素晴らしいものが下りてくるというのは、ソクラテス以来の真実のようです。
クッツェーが他者の言語としての英語で書くことの意味について語れば、オースターはチャールトン・ヘストンとの偶然の出会いに驚いて見せる。この往復書簡集は、クッツェーとオースターどちらの読者も喜ばせてくれるというだけでなく、二人の創作の秘密も垣間見せてくれます。
二人の訳者であるくぼたのぞみさんと山崎暁子さん、本当にお疲れさまでした。おかげで良い読書ができました。

2014年11月18日火曜日

町田康さんの『生き延びるための世界文学』書評アップされました

町田康さんが『生き延びるための世界文学』のために『波』に書いてくださった書評がアップされました。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/332322.html
憧れの町田さんにこういった文章を書いていただけるなんて、こんなに幸福なことはありません。
本当に、心の底からどうもありがとうございます。

2014年11月7日金曜日

来週火曜日に西加奈子さんと対談します

すでにお伝えした通り、11月11日に紀伊國屋書店新宿本店で西加奈子さんと対談します。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20141021123939.html
いま西さんの新刊『サラバ!』の上巻を読み終わったところです。イランやエジプトでの西さんの体験が詰まっていながら、それだけに止まらないスケールの大きな作品になっています。これは文句無しに傑作なのではないでしょうか。下巻を読むのがとても楽しみです。

2014年11月6日木曜日

今週末は関西でイベントです

すでにお伝えしたとおり、今週末に関西で二つイベントをやります。
11月8日にいしいしんじさんと京都ガケ書房で対談します。
そして11月9日には翻訳家の藤井光さんとジュンク堂書店大阪店で対談やります。
お時間と御興味がある方、ぜひいらっしゃってください。楽しい会にしましょう。

2014年10月29日水曜日

11月11日に紀伊國屋書店新宿本店で西加奈子さんと対談します

11月11日に紀伊國屋書店新宿本店で西加奈子さんと対談します。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20141021123939.html
今からどういうお話になるかわくわくしています。西さんとはまだお会いしたことがないのですが、まずは『ふくわらい』を読んでみました。すごく面白いです。イランのテヘラン生れ、エジプトと大阪育ちって、いったいどういう人になるんでしょう。
いちおう僕の『生き延びるための世界文学』(新潮社)刊行記念ではあるんですが、本日発売の西さんの『サラバ!』(小学館)についてもお話しできたらいいなあ、と思っています。

11月9日にジュンク堂大阪店で藤井光さんと対談します

11月9日にジュンク堂大阪店で翻訳家の藤井光さんと対談します。
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=7168
去年平凡社の雑誌『こころ』で対談させたいただいて以来です。
藤井さんは僕よりだいぶ若いのですが、ずいぶんいろいろ知っていて、しかも仕事も速くて、本当にすごい人です。この機会にたくさん教えてもらおうと思っています。楽しみです。

11月8日に京都のガケ書房でいしいしんじさんと対談します

11月8日に京都のガケ書房でいしいしんじさんと対談します。
http://www.h7.dion.ne.jp/~gakegake/
いしいさんとは以前ジュンク堂池袋店で対談させていただきました。
http://www.youtube.com/watch?v=q4AhjNZ3Phw
もう二年前になるんですね。懐かしい。
その後、去年は三崎のいしいしんじ祭りでおはなしをさせてもらいました。会うたびに本当に楽しくて、いしいさん大好きです。
今『その場小説』(幻冬舎)読んでますけど、はっきり名著ですよ。全部の言葉がぴちぴち生きてます。
御興味のある方、京都の夜を一緒に楽しみましょう。

2014年10月28日火曜日

新刊『生き延びるための世界文学』(新潮社)でます

10月31日に新潮社から新刊『生き延びるための世界文学』が出ます。
http://www.shinchosha.co.jp/book/332322/
もともとは『新潮』誌で二年間続けた連載「世界同時文学を読む」をまとめたものですが、長めの前書きに自伝的プチエッセイ三本、そしてジュノ・ディアスの新作短篇「モンストロ」を付けました。だいぶお得仕様になっています。
そして西加奈子さんと町田康さんには素晴らしい帯文を寄せていただきました。本当にどうもありがとうございます。
さらにはなんと、町田康さんには信じられないほど力のこもった書評エッセイ「スパゲッティーの味」まで書いていただきました。これは2014年10月号の『波』で読むことができます。
http://www.shinchosha.co.jp/nami/
何十年も前から憧れ続けた町田さんに自分の本を読んでいただき、さらには書評までしていただくなんて、こんなに嬉しいことはありません。本当に、この喜びを言葉で表すことは到底不可能です。

毎日新聞に『狂喜の読み屋』についてのインタビュー載りました

ちょっと前ですが、10月21日付毎日新聞夕刊に『狂喜の読み屋』についてのインタビューが載りました。
http://mainichi.jp/shimen/news/20141021dde012070006000c.html
無料登録すると読めるようになるみたいです。
執筆していただいた鶴谷真さんが、ちゃんと『狂喜の読み屋』を読み、深く考え抜いた上で書いていることがよくわかるインタビュー記事になっています。「ごつごつと力強いブルドーザーのような文体だ。」との評、こんな褒め言葉はありません。インタビューしてもらったおかげで、自分が何をしようとしているとかがよく分かりました。
どんな場所にでもいい仕事をしようとがんばっている人はいるんですね。そういう方に担当していただけて幸福です。

2014年10月7日火曜日

10月31日に西南学院大学で講演会をやります

10月31日に福岡の西南学院大学で講演会『アメリカ文学から世界文学へ』をやります。
http://www.seinan-gu.ac.jp/news/3901.html
午後2時40分からで、入場は無料、事前予約も必要ありません。
お近くにお住まいで御興味のある方、ぜひお越しください。
この日は夜はブックス・キューブリックで対談もあるし、大忙しです。福岡は大好きな街なので今から行くのが楽しみです。

2014年10月1日水曜日

10月31日に福岡のブックスキューブリック箱崎店で対談やります

10月31日に、福岡のブックスキューブリック箱崎店で、共和国の下平尾直さんと対談します。
http://bookuoka.com/archives/1036
http://www.bookskubrick.jp/about-bk/topics/20141001-2731.html
入場料は1500円で、電子メールによる予約が必要なようです。
ブックオカというフェスティバルの一部として、僕も福岡に行くことになりました。対談相手の下平尾直さんは僕にとって、最初の著作である『偽アメリカ文学の誕生』以来の担当編集者で、共和国として独立後に『狂喜の読み屋』も担当していただきました。翻訳や批評をすること、そして本づくりの現場などについて話すことができればいいなと思います。
僕としても九州でイベントをすることは初めてです。けやき通り店は行ったことがあるのですが、箱崎店はないので楽しみにしています。お洒落で素敵な書店ですよね。

2014年9月29日月曜日

10月8日にTSUTAYA代官山店で阿部賢一さんとトークショーをやります

10月8日にTSUTAYA代官山店でチェコ文学研究者の阿部賢一さんとトークショー&サイン会をやります。
http://tsite.jp/daikanyama/event/004241.html
僕が序文とジュノ・ディアスについての章を書いた『ノーベル賞にもっとも近い作家たち』(青月社)
の出版を記念しての催しになります。
フラバルやアイヴァスなどすぐれた翻訳を立て続けに出している阿部賢一さんと世界文学について話せるまたとない機会で、とても楽しみです。
トークの部は参加無料、ただし整理券が必要です。サイン会でサインするのはTSUTAYA代官山店で購入した本にかぎります。

『早稲田文学』2014年秋号にデリーロ『ホワイトノイズ』翻訳第4回目掲載されました

『早稲田文学』2014年秋号にドン・デリーロの『ホワイトノイズ』翻訳第4回目が掲載されました。
http://www.bungaku.net/wasebun/magazine/wasebun2014au.html
こつこつ最後までがんばりたいです。

2014年8月31日日曜日

『波』9月号にディアス『ハイウェイとゴミ溜め』について書きました

このたび、久しぶり復刊されるのを記念して『波』9月号にジュノ・ディアスの『ハイウェイとゴミ溜め』について書きました。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/590004.html
ここで紹介文の全体が読めます。
ジュノ・ディアスには今のところ『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』、『こうしてお前は彼女にフラれる』とこの『ハイウェイとゴミ溜め』』の三冊しか著作がありません。『ハイウェイ』は1998年にクレストブックスで出たのですが、ながらく入手できない状態が続いていました。
このたび、めでたく復刊されたようです。すでにジュンク堂のサイトでは在庫ありになっていますね。
http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?product_id=0198524135

『波』8月号に坂口恭平『徘徊タクシー』について書きました

『波』8月号に坂口恭平の『徘徊タクシー』について書きました。
ここで全文を読むことができます。
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/335951.html
僕は坂口恭平の文章も絵もDVDも写真も全部好きで、かなりの数の本を読んできました。ブログにも好きだ好きだと書いていたら、書評の仕事をいただいてしまいました。光栄なことです。
坂口恭平のやっていることを一言で表すなら、「過去からの声に耳を澄ますこと」じゃないかと思って書いてみました。平坦で退屈な現代を切り裂く坂口恭平の言葉に、耳を傾けていただければ嬉しいです。

2014年8月22日金曜日

8月28日にくぼたのぞみさんと田尻芳樹先生とクッツェーについてイベントをします

8月28日にジュンク堂池袋店で、くぼたのぞみさんと田尻芳樹先生とクッツェーについてイベントをします。
http://www.junkudo.co.jp/mj/store/event_detail.php?fair_id=6379
クッツェーの自伝的な作品『サマータイム、青年時代、少年時代―辺境からの三つの〈自伝〉』について三人で話します。とはいえ、訳者のくぼたさん、研究者の田尻先生と日本でいちばんクッツェーについて詳しいお二人を迎えて、僕は司会者としていろいろと訊ねる、という流れになると思います。きっと楽しいお話を聞けるんじゃないかと楽しみにしています。
読んでみるとわかりますけど、これはすごくいい本です。今までけっこう前衛的な作品としてクッツェーの著作を読んできましたけど、この本を読んで、むしろ南アフリカの歴史や生活と結びつけて考えた方がいいんじゃないかと、と思うようになりました。
クッツェーは20年ほど前、『ペテルブルグの文豪』を読んで以来、大好きな作家です。『悪い年の日記』も早く翻訳がでないかなあ、なんて思っています。違う視点でページが上下に分かれて記述されている、なんて僕の大好物なんですけどね。期待通り、男の情けなさがてんこ盛りだし。

2014年7月26日土曜日

8月2日に東直子さんとB&Bで対談をします

8月2日に東直子さんと下北沢のB&Bで対談をします。
http://bookandbeer.com/blog/event/20140802_a_yomiya/
東さんは短歌を通じて僕を日本語の深い世界に導いてくれた師匠といってもいい存在です。お会いするたびに僕は東さんの広い知識と確かな見識に圧倒されています。
今年の5月に『鼓動のうた 愛と命の名歌集』(毎日新聞社)という本を出された東さんとともに、今回は僕の本『狂喜の読み屋』』(共和国)について語り合います。とはいえもちろん、『鼓動のうた』についても、そして他の短歌や小説の話も飛び出すに違いありません。
東さんのお話をお聞きできるのが今から楽しみです。

2014年7月3日木曜日

島田潤一郎『あしたから出版社』(晶文社)

心を込めて、好きな本を好きな人に届ける。それだけのことがなんでこんなに貴重に感じられるんだろう。島田潤一郎の『あしたから出版社』は、作家になろうとして挫折した若者が、編集の経験もないまま、好きな本を作り上げてそれを必要としている人に届けたい一心で出版社を立ち上げる物語だ。小島信夫やマラマッドなどの、夏葉社の作る、時代を超えたようなたたずまいの本に惹かれたことがある人なら、この本は心の底から楽しめると思う。
「ぼくは、いつか、袋小路に入り込んで、だれもほしいと思わない本をつくってしまうような気がしている。たとえば、ある失敗を機にお金に困り、マーケティングなどといいだして、自分が必要としてはいない本を、これまで培ったノウハウで、ヒョイヒョイとつくってしまうように思う。
ほしいかほしくないかと聞かれたらそんなにほしくないけれど、でも、きっと、読者がほっしていると思うんだ。
そんなことをいいはじめたら、ぼくの仕事は、終わりだ。」(176ページ)
こんなに痛切な言葉があるだろうか。島田さんの不器用さとシンプルさに、僕は出版の、そして仕事の未来を感じる。

2014年7月1日火曜日

『波』にカレン・テイ・ヤマシタ『熱帯雨林の彼方へ』について書きました

『波』7月号にカレン・テイ・ヤマシタ『熱帯雨林の彼方へ』(新潮社)について書きました。
http://www.shinchosha.co.jp/nami/
マジック・リアリズム作品でありながらものすごく読みやすく面白い、日本人が主人公でブラジルが舞台のアメリカ小説、というキャッチーなところ満載の本書ですが、なぜか以前に白水社で出たまま長らく絶版が続いていました。満を持しての新潮社から復刊、ということで本当に嬉しいです。
カレン・テイ・ヤマシタについては、以前『新潮』の連載で僕もCircle K Cyclesという作品について書いたことがあります。日本、ブラジル、アメリカ合衆国という三つの場所を起点にものを考える、という希有の作家ですね。国際的に広がって行った日系人が果たして世界で何を考えているのか、について興味がある方にもお勧めではないでしょうか。

2014年6月30日月曜日

7月11日藤原辰史さんとの対談、詳細決まりました

すでに当ブログで藤原辰史さんと対談するとアナウンスしましたが、詳細が決まりました。どうぞふるってご参加ください。

独立出版社「共和国」創立記念
(協賛:紀伊國屋書店新宿南店)

第1回 共和国祭
自由に、にぎやかに、みんなで語り合う場にしたいと思います。
開催までもうあまり日がありませんが、ふるってお運びください!

◎トークセッション
 都甲幸治さん(『狂喜の読み屋』)
 藤原辰史さん(『食べること考えること』)

◎「共和国の友」からのご挨拶 など


日時:2014年7月11日(金)午後6時30分会場/7時スタート

場所:サロンド冨山房FOLIO (神保町)

会費:2,000円(悪税なし)

定員:最大60名程度

お願い:
 簡単なおつまみ・飲み物はご用意いたしますが、
 原則としてポットラック形式にします。
 飲み物でも食べものでも、おひとり1点以上ご持参ください。

*参加希望のかたは、お手数ですがお名前をお書き添えのうえ、
 以下のメールアドレスまでご連絡ください。
 naovalis68@yahoo.co.jp

では、当日お目にかかれるのを楽しみにしております!
(共和国代表・下平尾)

2014年6月28日土曜日

『ユリイカ』マルケス特集に書きました

『ユリイカ』7月号特集ガルシア=マルケスに書きました。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702732
タイトルは「ラテンアメリカを引き継ぐ--ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』と北米の魔術的リアリズム」です。
魔術的リアリズムってよく聞くけど、実ははっきりと理解している人はそれほど多くはないのでは、と思います。そもそも、対極的な概念である魔術とリアリズムがなぜ結びつくのでしょうか。そして魔術的リアリズムはシュールレアリスムとどう違うのでしょうか。もし魔術的リアリズムが南米版のシュールレアリスムでは必ずしもないとしたら、それはなんでしょう。
魔術的リアリズムという概念が、ドイツで発明され、中南米に渡って発展し、北米、さらには世界に伝播して行った過程は20世紀以降の文学において非常に重要なものだと思います。
本論ではディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』がマルケスの文学的な意志をどう引き継いでいるのか、について考察してみました。
北米文学と中南米文学を分けて考えることで見えなくなっているものがとても多いのではないかと感じています。マルケスの、カリブ海とそれを取り巻く陸地だと考えれば南北アメリカは一つの世界だ、という見方に衝撃を受けたのが本論の出発点になりました。

2014年6月27日金曜日

7月11日に藤原辰史さんと第一回共和国祭りで対談します

7月11日(金)に神田サロンド冨山房FOLIOで藤原辰史さんと対談します。
http://folio.fc2web.com/frame.html
この対談は、出版社共和国樹立記念パーティである『第一回共和国祭り』の一部として行われます。最初に対談、そのあと立食パーティという流れになるようです。入場料はパーティ参加費と込みになります。一般の方の参加も歓迎だそうです。
藤原辰史さんの本はさっそく『食べること考えること』(共和国)を読みましたが、非常にオリジナリティに溢れていますね。多くを学びました。対談も楽しみです。

2014年6月26日木曜日

恵文社一乗寺店店長ブログで『狂喜の読み屋』ご紹介いただきました

恵文社一乗寺店店長である堀部篤史さんのブログで『狂喜の読み屋』ご紹介いただきました。
http://keibunsha.jpn.org/?p=7474
ここ、本当にいいお店ですよね。初めて行ったとき、あまりにも感動して大量の本を買い込んでしまったのを思い出します。棚の一つ一つに、本と出会う喜びを伝えたい、という意志を感じるんですよね。同じ本が一冊ずつ店内のいろんな場所にあるなんて、それまで見たことがなかったから驚きました。
あとで作家の松田青子さんにお会いしたとき、恵文社一乗寺店で以前働いていらしたと聞いて、あの棚はいったいどうやって作っているんだと尋ねたことがあります。いえ、バイトの好きにやらせてもらっています、と松田さんがおっしゃっていて、なるほど、と思いました。それぞれ店員が自主的にやっているのに、結局全体がまとまって一つの場を作っている、というのがこの店の秘密なのではないでしょうか。それは店長の思想だったり生き方だったりするのかもしれません。
堀部さんの『街を変える小さな店』(京阪神Lマガジン)を読むと、そこらへんの思いがなんとなく伝わってきたりします。これは本当に名著です。またそのうち恵文社行きたいなあ。
そういえばこの本については当ブログでも以前取り上げましたね。
http://kojitoko.blogspot.jp/2014/02/blog-post_8.html

7月20日に堀江敏幸さんと対談します

『狂喜の読み屋』(株式会社共和国)刊行記念ということで、7月20日に紀伊國屋書店新宿南店で堀江敏幸さんと対談します。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-South-Store/20140625161124.html
会場は午後1時半、スタートは2時からです。40席ほど椅子の用意がありますが、立ち見もオーケーだそうです。
堀江敏幸さんはもちろん優れた小説家・エッセイストですが、同時にフランス文学者であり翻訳家でもあります。当日は外国語や日本語で文学を読むことや訳すこと、読むことと書くことの関係など、多岐にわたる話ができればいいなと思っています。
堀江敏幸さんの主要な訳書は以下の通りです。

ロベール・ドアノー『不完全なレンズで』(月曜社)
フィリップ・ソレルス『神秘のモーツァルト』(集英社)
ミシェル・リオ『踏みはずし』(白水Uブックス)
ジャック・レダ『パリの廃墟』(みすず書房)
エルヴェ・ギベール『幻のイマージュ』(集英社)
エルヴェ・ギベール『赤い帽子の男』(集英社)
パトリック・モディアノ『八月の日曜日』(水声社)

翻訳だけでもすごい数ですね。
そして堀江さんご自身の作品もフランス語にも訳されています。
Le Marais des Neiges. Gallimard, 2012.(『雪沼とその周辺』)
Le pave de l'ours. Gallimard, 2006. (『熊の敷石』)
ここらへんは紀伊國屋書店新宿南店でもおそらく扱いがあると思います。紀伊國屋書店新宿南店の6階は洋書専門フロアに改装されたのですが、行ってみると凄まじいです。英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語などのコーナーも充実しています。しかも選書がいいですね。訊いてみたら、英語がネイティヴ同様にできる社員さんが二人常駐して選書に加わっているようです。ただ遊びに行ってみるだけでもとても楽しいと思いますよ。

『フィガロ・ジャポン』でこわい話セレクトしました

『フィガロ・ジャポン』8月号で、「本当にコワイ話」5本セレクトしました。
http://madamefigaro.jp/magazine/
ラインナップは

- エイミー・ベンダー「思い出す人」(『燃えるスカートの少女』所収)
- ジュディ・バドニッツ「借り」(『空中スキップ』』所収)
- トルーマン・カポーティ「ミリアム」(『夜の樹』』所収)
- エドガー・アラン・ポー「ウィリアム・ウィルソン」(『黒猫・アッシャー家の崩壊』』所収)
- ミランダ・ジュライ「水泳チーム」(『いちばんここに似合う人』』所収)

です。でもどれも読んでいて楽しい作品ばかりですよ。

2014年6月21日土曜日

7月4日(金)東京国際ブックフェアで対談の司会をします

7月4日金曜日の14時から、東京国際ブックフェアで対談の司会をします。
(6月30日記)場所は出版梓会ブース脇、人文・社会科学イベントスペースです。
詳しくは以下の通り。
http://www.azusakai.or.jp/
http://www.ed-republica.com/#!/cmbz/4A491CF0-6087-400F-BA5C-
テーマは「 “ひとり出版社” を興す」で、水声社時代から僕がお世話になっている、株式会社共和国の下平尾直さんと、カイヨワや吉田知子の面白い本を出している景文館書店の荻野直人さんの対談です。
下平尾さんは僕の新刊『狂喜の読み屋』を編集してくださった方でもあります。水声社時代や独立の経緯、一人出版社だからこそできることなど、いろいろとお話がきけそうです。
http://www.ed-republica.com/
https://ja-jp.facebook.com/pages/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD-editorial-republica/777797128899317
萩野さんが出されたカイヨワ『ポンス・ピラト』もさっそく読んでみました。カイヨワが優れた小説家でもあったなんて全然知りませんでした。一度市場に出たままあまり読まれず、入手が難しくなった名作はいくらもあると思います。こういう、過去の出版文化そのものを今の感覚でリミックスするというのはすごく意味があることなのではないでしょうか。
http://keibunkan.jimdo.com/
会場となる東京国際ブックフェアですが、入場券が必要なようです。これは無料で入手できそうです。詳しくはサイトを見てみてください。
http://www.bookfair.jp/

2014年6月16日月曜日

『狂喜の読み屋』目次

もうすぐ発売される『狂喜の読み屋』(共和国)ですが、月曜社ウラゲツブログにて、詳細な目次をあげていただきました。どうもありがとうございます。
http://urag.exblog.jp/19905497/

2014年6月2日月曜日

新刊『狂喜の読み屋』でます

『狂喜の読み屋』というタイトルの新刊が、6月中旬に共和国という、これまた新出版社から出ます。
内容ですが、『新潮』での連載「生き延びるためのアメリカ文学」のうち、『21世紀の世界文学30冊を読む』未収録分、読売新聞で書評委員として書いた新聞書評、ならびに日本文学その他の書評、短めの論文などです。町田康や小島信夫について書くなど、いろいろと挑戦しています。
いしいしんじさんからはすばらしい帯の文章をいただきました。「帯なんてはぎとって早く読め!」なんて、究極の帯文ではないですか。
共和国についてですが、水声社のチーフエディターだった下平尾直さんが独立して作った一人出版社です。一人なのに共和国、というのが痛快で、下平尾さんと一緒に本を作ることにしました。僕も国民になれたかな。
http://www.ed-republica.com/
https://ja-jp.facebook.com/pages/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE-%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD-editorial-republica/777797128899317
ウェブサイトもフェイスブックのほうもいい感じです。ご興味があれば覗いてみてください。

2014年5月9日金曜日

『新潮』に筒井康隆『創作の極意と掟』について書きました

『新潮』6月号に筒井康隆『創作の極意と掟』について書きました。
『文学部唯野教授』など痛烈な小説で知られる筒井康隆ですが、この本では創作をする上での心がけについて、とても親切に語っています。
すぐれた評論になっているだけではなく、これがまたすこぶる面白い。しかも、小説のすごみはどこからくるかなど、とても勉強になります。色川武大からプイグまで、この本を読んだら次に読みたい本が増えて困るほどです。
いちばん驚いたのは、筒井が谷川流『涼宮ハルヒの消失』から影響を受けて作品を書いている、と告白しているところでした。自分より40歳ほど下の人からも学べる、というのは凄まじいほどの精神の若さではないでしょうか。こういう書き手が日本語の世界にいてくれて本当によかったと思います。

2014年5月8日木曜日

毎日新聞にタオ・リンについて書きました

毎日新聞5月7日号にタオ・リンについて書きました。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140507dde018070014000c.html
哀切で滑稽で痛烈な青春を書いたらタオ・リンの右に出るものはいません。日本では『イー・イー・イー』しか翻訳がありませんが、短編集や詩集などいい作品はけっこうあります。
今回は『リチャード・イェーツ』について書きました。ベジタリアンVS摂食障害、という謎の対決を扱った恋愛小説です。これは文学なんでしょうか、一種のパフォーマンス・アートなんでしょうか。なんだかミランダ・ジュライがタオ・リンを強力に推しているのもわかるような気がします。
 新作『台北』もかなり評判になっているようですね。

2014年5月7日水曜日

『文學界』に村上春樹『女のいない男たち』について書きました

『文學界』6月号に村上春樹『女のいない男たち』について書きました。
「妻の裏切り」というタイトルで、特集「村上春樹が描く女と男」の一本となっています。
『女のいない男たち』はただ村上春樹の最新作というだけでなく、とても充実したものになっています。本論考では短篇「ドライブ・マイ・カー」に絞って、村上春樹における愛することと嫉妬などについて考えました。最初気づかなかったのですが、この作品でもチェーホフがとても重要な役割を果たしているようです。

2014年5月6日火曜日

エル・ジャポンにボラーニョ『鼻持ちならないガウチョ』について書きました

『エル・ジャポン』6月号にロベルト・ボラーニョ『鼻持ちならないガウチョ』(白水社)について書きました。
死の直前にボラーニョが書いた作品ですが、文章も物語も本当に素晴らしいです。表題作はボルヘスの『伝奇集』、「鼠警察」はカフカの短篇へのオマージュにもなっています。
このところ白水社は立て続けにボラーニョの作品を出していますね。2003年に亡くなってからもう10年以上立ちますが、依然として彼は現代世界文学における最高の作家の一人だと思います。どの作品を読んでも決して損はありませんよ。

2014年4月24日木曜日

東直子『らいほうさんの場所』(講談社文庫)

面白い。ぐいぐい物語に引き込まれてしまう。ポジティヴなことばかり言っている女性占い師が、限りなく不幸に落ちこんでいく話。東直子の女性を見る眼がリアルで恐い。「若い肌を目の当たりにすることで、自分の水分のぬけてきている手の甲が気になってしまう。」なんてところがいい。
何度決意をしても、自殺未遂までしても、家族の物語からは抜けられない。どういう呪いがかかっているのか、らいほうさんの場所には何が埋まっているのか、さっぱりわからないまま小説は進んでいく。藤谷治さんはこの本を評して、文章は普通なのに気持ち悪さがぐんと迫ってくる、と言っていたが、そのとおりだ。
そもそも、この気持ち悪さはすべての家族に付きまとうものなのではないか。単に子供の役をやっている、親の役をやっている、なんて自分では思っていても、そうした物語の力のほうが個人よりもよっぽど強い。友だち親子なんてうそぶいても、その毒から逃れることなどできはしない。人間が生きることの気持ち悪さを直視する東直子は、ずいぶん勇気のある書き手だと思う。
彼女の歌は、頭で書かれていない。だから人間の業を掴むことができる。最近流行りの、洗練された、知能指数の高い、遊び心に満ちた作品にはない力を彼女の書くものには感じる。 僕はそういう作品が好きだ。

2014年4月23日水曜日

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』 (文春文庫)

小説論から著作権侵害事件まで様々な要素が突っ込まれた小説。いわゆる実験的といわれる手法なのだろうが、それらがことごとく面白さに貢献していることには脱帽するしかない。この作品を読んで、小説は自由なんだな、ということを体感した。こんな書き手はめったにいない。
薄っぺらな倫理が蔓延し、「文学が否定される世の中」への嫌悪に共感した。80歳近くでなお危険な香りを放つ筒井の存在は現代日本文学における宝である。

2014年4月16日水曜日

5/11下北沢フィクショネスでブコウスキー読書会やります

5月11日午後6時から、下北沢の書店フィクショネスでブコウスキー『勝手に生きろ!』(河出文庫)の読書会をやります。
http://www.ficciones.jp/
場所が難しいのでよく地図を見てきてください。B&Bのある道の一本向こうの道を左に入る、といえばわかりやすいでしょうか。
Ficcionesといえば、ボルヘス『伝奇集』の原題でもありますよね。僕は前回の東直子『らいほうさんの場所』(講談社文庫)を読むという回に参加したのですが、作家で店主でもある藤谷治さんの人柄としゃべりの面白さ、批評の的確さに圧倒されました。一時間ぶっ続けで話してほんの20分くらいに思わせるなんて、並みの力量ではありません。なにより藤谷さんの小説愛に心を動かされました。
しかも一般の参加者が話したことを、次々と肯定的に広げてくださいます。僕は教師でもあるので、藤谷さんのワークショップの手法は本当に勉強になりました。
藤谷さんはたくさんの小説作品で知られています。それに加えて、藤谷さんは批評家としても優れていることがよく分かりました。国内海外問わず広く文学作品を読み、作品をそれらと結びつけながら、しかも書き手としての実感も見失わない。藤谷さんの別の魅力ももっと世の中に広まるといいな、と思います。
11日には僕は参加者の一人として発言したり、訳者としてコメントしたりします。楽しい会になれば良いな。

2014年4月13日日曜日

筒井康隆『乱調文学大事典』(講談社文庫)

何といっても付録「あなたも流行作家になれる」がいい。いい批評でも悪い批評でも読者への効果は同じで、できるだけ取りあげられる方がいい。言及が多ければ人気があると読者は思うものだから。もちろん批評家は年上のことが多いので、真に新しいものは理解できない。したがって新しい人は必ず叩かれる。だから悪評が多いうちは安心だ。批評家に褒められたところはもうやめて、けなされたところを追求するべき。そうすればますます批評家に叩かれて、読者からの人気も出る一方だ、なんて議論は説得力がある。その後に筒井康隆がなし遂げてきたことを見れば、彼の考えが正しいことはよく分かる。
だが、ある程度年齢がいき成功を収めて、誰もが褒めそやすようになったらどうすればいいのだろう。筒井の論に従えば、書き手は大きな危機を迎えるのではないだろうか。 おそらく、古典と年下から学び続けるということなのだろうが、むしろそこからのほうが容易ではないだろう。筒井の正直さと親切さがよく分かる本。

The Blankey Jet City, Red Guitar and the Truth. (東芝EMI)

「あてのない世界」が気になって久しぶり聞いた。哀切としか言いようがない浅井健一のボーカルが素晴らしい。芸術はこういうものでなければいけない。「真実」という言葉が胸に突き刺さる。

2014年4月12日土曜日

週刊現代にポール・オースター『写字室の旅』 について書きました

週刊現代4/26号にポール・オースター『写字室の旅』(柴田元幸訳、新潮社)について書きました。
オースターは現在、『ムーン・パレス』(新潮文庫)以降の物語が強い諸作品がよく読まれていますが、サミュエル・ベケットやモーリス・ブランショなどに影響を受けた初期の作品の魅力も捨てがたいです。ちなみに、僕はオースターの最高傑作は『最後の物たちの国で』(白水Uブックス)だといまだ思い込んでいます。
今回の作品はオースター初期の魅力がまた戻ってきた点で画期的なのではないでしょうか。『写字室の旅』を通じて、抽象的でミニマルなオースターの魅力に再び気づいていただければ嬉しいです。

筒井康隆『文学部唯野教授の女性問答』(中公文庫)

これも『文学部唯野教授』の関連本である。軽い問答形式だが、言っていることは深い。
宗教は「他人の不信心を軽蔑するための宗教であってはならない」とか、社会正義とは「自分の身の安全や利益を考えて権力のいいなりに」ならないことだ、だとか、本当に大事なことが書いてある。寛容さや批判的精神について語るなんて、まるでジョン・ロックやルソーのようではないか。だいたい、アリストテレスの理論について本気で解説しようとする作家なんて見たことない。
筒井康隆の真面目さと倫理性がよくわかる本。

2014年4月11日金曜日

筒井康隆『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文春文庫)

『唯野教授』が面白かったので関連書籍も購入。驚いたのは「自分だっていつ人殺しをするかわかんないって想像できない人が小説家やっちゃいけない」といった表現だ。そういえば20年前はこういうことけっこう聞いたのに、どうしていつの間にか作家といえば、人前でなんとなく立派なことを言う常識人、というイメージになったのだろう。ほんの少し前の本なのに、まるで日本語を使う別の国の作品のようだ。
「これどこかで読んだなあ」と思わせるのが大衆文学とか、理論を学びすぎると無意識が出てきにくくなるとか、卓見が目白押しである。 それにしても筒井康隆は本当によく勉強している。それだけでも圧倒された。ガダマー読もう。ハイデガー読もう。

2014年4月9日水曜日

筒井康隆『文学部唯野教授』(岩波現代文庫)

いやあ、暴力的なまでに面白い。ほぼ20年ぶりに読み返したが、どうしてこんなに引き込まれるのだろう。もちろんほぼ四半世紀前の本ということで、いい具合に古びているのだがそこがいい。この20年間に日本文学はお行儀がいい、誰にとっても恐くないものに成り果ててしまったのだと気づかされる。そして筒井康隆が現在も生き、書き続けていることがどれほどの僥倖かということがよくわかる。
以前読んだときは大学人の生きざまにばかり目が行ったが、今回は各思想家の紹介の仕方に深く感心した。どの思想家の著作もちゃんと読んで書いていることがよくわかる。これは、なかなかできることではない。しかもそれを本当にわかりやすく、学部生にも楽しめるように翻訳しているのだから凄い。とくにハイデガーのところなんて、本当に優れている。
大胆な通俗化、単純化も恐れず突き進む筒井康隆の姿勢に圧倒された。文学とその読者に対する強い愛に基づいていなければできないことだ。

2014年4月2日水曜日

毎日新聞にドン・デリーロについて書きました

毎日新聞にドン・デリーロについて書きました。
難解だという印象が強いデリーロですが、読んでみればよく練られた文章と、現代日本に生きる我々にも説得力のあるアイディアに満ちています。死、環境汚染、メディアの作るイメージと現実とのずれなど、興味深いテーマを繊細な文章で彼は語り続けています。次にアメリカでノーベル賞を獲るのは彼なのでは、とまで言われる存在であるにもかかわらず、どうして日本ではいまだあまり受け入れられていないのか不思議でなりません。
今回はデリーロの作家としての出発点であるケネディ暗殺と、それを見事に作品化した『リブラ』(文藝春秋)について書きました。残念ながら絶版ですが。でも、デリーロ入門としては手頃な短篇集『天使エスメラルダ』(柴田元幸他訳、新潮社)も最近出ています。文庫では『ボディ・アーティスト』(ちくま文庫)もあります。ここらへんからデリーロの豊かな文学世界を体験していただければ嬉しいです。

デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら』(星和書店)

物事が上手くいかない。人間関係がこじれる。どうして自分はダメなのか。そして限りなく自分を責め、落ちこんでいく。
生きているかぎり人間は自分と一緒にいるしかないし、自分は自分に合う考え方しかしないので、どうしても自分の考えが正しいように思ってしまう。でも、と本書は言う。それって反論の余地はないのかな。あるいは、現実に則した考え方なのかな。
1980年にアメリカで出版されて以来、多くの人々を救ってきたのがこの『いやな気分よさようなら 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』だ。認知療法をわかりやすく解説したこの本は、自分が自分に対して行う攻撃を、現実に則して効果的に反論し跳ね返す方法を教える。キーワードは「認知のゆがみ」だ。
なぜかはわからないが、僕たちは自分に不利になるように現実を捉える思考の癖を持っている。バーンズによれば、それは10のパターンがある。それを認識して、そのパターンのおかしさをきちんとつかめば、もっと現実に則して考えることができる、というのが認知療法の基本的な思考法だ。
具体的には以下のとおりである。

1 全か無か思考。うまくいくか、完全な失敗かの二つしかないと考えてしまう。でもそんなことある? 実際はいつもその中間なんじゃないの。
2 一般化のしすぎ。一つ上手くいかないと、いつもなんでもうまくいかないと思ってしまう。でも上手くいくときもあれば、上手くいかないときもあるのが現実じゃないの?
3 心のフィルター。一つ悪いことがあるからと、そのことばかり考えて人生すべてが暗くなる。でもさ、いいことだってたくさんあるよね。
4 マイナス化思考。上手くいったことは自動的に無視して、できないこと、失敗したことばかり覚えている。そして自分を責めたててしまう。でも、ちゃんとできたことって毎日いっぱいあるよね?
5 結論の飛躍。無根拠に悲観的な結論を出す。
a心の読みすぎ。あの人は私が嫌いだからこうしたんだ。でもそんなことどうしてわかる? 他人の気持ちが直接わかればあなたは超能力者だ。
b先読みの誤り。このまま事態は悪くなるに違いない。でもそれがわかればあなたは予言者だ。
6 拡大解釈と過小評価。自分の欠点は拡大解釈、他人の長所も拡大解釈し、自他を比べて落ちこむ。でもそんなに自分はできない人間かな。そんなに他人はできているのかな。
7 感情的決めつけ。こんなに落ちこんでいるんだから現実は最悪に違いない。でも、自分の感情が正確に世界を反映しているんだろうか?
8 すべき思考。「~したい」ではなく、「~すべき」「~すべきでない」というべき思考で物事を考える。するとできない自分を罰し、できない他人を攻撃するようになる。でも大抵のことは、やってもやらなくてもいいのでは? そんなに固く考える必要ってあるのかな。「べき」は法律で十分では。
9 レッテルはり。一つ失敗をすると、どうせ自分は「ダメ人間」だ、と思ってしまう。でも100%ダメなばかりの人っているのかな。いちどレッテルを張るといつもそうだと考えがちだが、それは現実に則していないのでは。
10 個人化。近くに辛そうな人がいると、自分のせいでその人が辛いのでは、と思ってしまう。でもさ、それじゃあ他人の気分は全部自分の責任なのかな。他人すべてをコントロールする力があるゆえに責任も持つ、ということならば、あなたは神に近い存在になってしまう。でも実際にはただの人間だよね。(35ページより)

これだけでも僕は強い衝撃を受けた。いやあ、自分は認知がゆがみまくっているな、と思ってしまった。
認知を正していく方法は本書に細かく書いてある。おそらくどんな人も、一読したら気持ちが軽くなることだろう。実にありがたい。存在することが奇跡のような名著。


2014年4月1日火曜日

金原瑞人『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(ポプラ文庫)

あまりにも洒落たタイトルが本当のことだと知って驚く。経緯は本を読んでください。訳書300冊以上(!)であり、マイノリティ文学から古典まで幅広くてがけ、日本にヤングアダルトという概念を定着させた偉大なる金原さんの著書。
軽い親しげな文体で書かれているこの本だが、その芯にはものすごく筋の通った意志が感じられる。文学賞をとっていなくても、読んでみて面白ければ訳してみる。落ち穂拾いのごとく、マイナーな作品でも気に入れば粘り強く出版社と交渉し続ける。読者にすれば当たり前のことでも、実際に翻訳者となれば、それをやり通すことは難しい。しかも30年も続けているとは。ただただ頭が下がるばかりだ。
僕がドミニカ共和国出身の作家、ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』なんかをスッと訳せたのも、金原さんのような先輩が本の世界を拡張していたからだということがよくわかる。本当にありがとうございます。

2014年3月31日月曜日

ゴマブッ子『女のしくじり』(ヴィレッジブックス)

自分らしく生きるというのは絶対的にいいことだ。ゴマブッ子はそういう信念を破壊する。単に自分らしいだけでは、誰にも理解されず、その魅力を受け入れられることはない、と論じるのだ。これは自分らしさ教徒にとっては衝撃の意見なのではないか。だって人に合わせると自分がなくなるじゃないか、と。でも、自分らしさ100%と自分らしさ0%の二択しかないのかな。
「合コンに上下赤いジャージで来た男がいたらどう思う?
間違いなく、そんな男は論外よね? 連れて歩くのも恥ずかしいわよね? そのジャージの素材がいいとかブランドがどうとか、淡々と語られたところでジャージはジャージ。しったこっちゃないわよね?
でも? ジャージの男も、貴女のオシャレなファッションも「その価値が自分にしかわかっていない」という点では同じだと思わない?」(202)
自分らしさを相手がわかる形に翻訳すること。そして世界の喜びを増やすこと。自分らしさなんてそれだけでは独り言でしかない。そのままでは、自分らしさを発揮する場所すら与えられない時点で、結局は0%でしかないのだ。
自分には理解できない他人との相互交流を通して、徐々に受け入れられる自分らしさを増やしていくこと。自分らしさ教徒に社会の存在を教える点でゴマブッ子の著作は優れている。

2014年3月28日金曜日

ゴマブッ子『あの女』(ヴィレッジブックス文庫)

努力すればなんでもかなうと学生時代に頑張り続け、正直に真面目に生きていればいいことがあると信じてきた誠実で純情な女性が、受験も仕事もどうにかなったのに、いざ恋愛という局面になったとき、男という得体の知れない、何をしでかすか予想もできない異文化人を前にして傷つく。どうしてこんなにがんばっているのに愛してくれないの? これでもまだがんばりが足りないっていうの?
おそらくそれは、日本において女性と男性の文化が極端に隔たったまま発達していて、互いの言語に習熟しないと基礎的なコミュニケーションすら不可能だからだ。そこにゴマブッ子が介入する。ゲイである彼は、女性に厳しい言葉を浴びせかけているように見せかけながら、丁寧に男性の論理を女性の論理に翻訳してみせる。ほら、不可解な男性の反応も、こうしたら理解できるでしょ。その愛に裏打ちされた言葉はほとんど菩薩行だ。しかも言葉のフットワークが軽い軽い。
能町みね子さんの本を読んでいても思うが、男女二つの文化をフィールドワークし、双方向に翻訳できるという人材は貴重だ。一つの言語しか知らない人は、他の言語を持つ人の存在すら信じられない。しかもそれが男女の場合、見かけ上同じ日本語を話す日本人、というふうに見えるからたちが悪い。視点の異動こそ笑いと気付きの源である、という人類学的な智恵を実感させてくれる本。

2014年3月27日木曜日

神田橋條治『精神科養生のコツ』(岩崎学術出版社)

頑張ることは無条件にいいことだ、そして上手くいかないのは十分にがんばっていないからだ、という現代日本を蝕む思考法を徹底して破壊する本。これを読んだときにものすごい解放感を僕は感じた。
神田橋による「頑張る」の定義はこうだ。「「頑張る」ということばの意味は、「こころの活動つまり目的のために、道具である脳を含めた身体に無理をさせる」ということです」 (43)。自分が「したい」と思うことより「すべき」と思うことを優先させ続ける結果、気持ちは自分の外側に向き続ける一方、自分の中の感覚はどんどん鈍くなってしまう。
自分でも気づかぬまま、限りない疲労が蓄積されたその先は、もちろん病気が待っている。なぜなら、脳の働きを含めた人間の身体能力は限界があるからだ。資本主義の要求する無限の拡大について行ける人など、この地球上には一人もいない。「「自分を鍛える」などと言っているときに、「気持ちがいい」「気持ちが悪い」の感じを失っていると、やりすぎて心身を痛めてしまうのです」(33)。
そこで登場するのが養生である。養生とは何か。自分の内側の「気持ちがいい」という感覚を掴むこと。そして、「気持ちが悪い」ことをせざるを得ないときも、そのことを意識しながら、どうしたらできるだけ短時間でそれを切り抜けられるか考えることだ。もちろん鈍くなってしまった「気持ちがいい」と感じる感覚を取り戻すにはトレーニングが必要である。具体的には本書を参照してほしい。
体を道具として見て、無理をさせて頑張ることで物事をなし遂げるというやり方には限界がある。むしろ体と対話しながら、「気持ちがいい」やり方を探り続けること。その方がきっと遠くに行けるだろう。
欠点を探すのではなく、できたことを褒め合う。人に愛されようとするのではなく、自分から愛を与え合う。good job!と声をかけ合って生きてもいいじゃないか。自他のあら探しばっかりの人生はもういいよ。もう十分に僕らは頑張ってきたのだから。

2014年3月25日火曜日

矢尾こと葉『頭の休ませ方』(中径の文庫)

最近「養生」という言葉が気になっている。傲慢な頭は体を無視して勝手にグングン考え続けるが、実際には体の一部でしかないので、やっぱり疲労し、勝手にネガティヴになり、やがては行き詰まってしまう。それでもうまくいかないのは考えが足りないからうまくいかないのかと判断して、不毛なループ状態に入る。
そんなときは考えを断ち切ることが必要だ。頭に空白を作ると、外部から五感を通じていろいろなものが入ってくる。体内の感覚が何かを伝えてくる。そこでようやく、きちんとひたむきに考えることで現実を見失っていたことに気づく。
この本にはさまざまな思考の断ち切り方が収録されている。気持ちいいことをしていいんだ、自分の体が喜ぶことをしていいんだ。その気づきはそのまま、自分が身体を持ち、体力も寿命も限界がある存在だということを受け入れることにつながるだろう。
限界内でよく生きること。だから養生なのだ。そして養生とは、無限の成長を指向する資本主義に対抗する思想になり得る。古くさい世界へようこそ。

坂口恭平『TOKYO一坪遺産』(集英社文庫)

どうして人間は地球を作ったわけでもないのに土地を私有できるのか。しかも金さえあれば広大な土地を手に入れられるのか。ルソーは『人間不平等起源論』でそう問いかけた。坂口恭平も問いかける。「この地球上に生まれた人間はそれぞれ皆平等に空間を分かち合うべきなのだが、どうもその根源的な常識は全く無視されている状態である」(179)。こういう、18世紀人と同じ疑問を抱く人は大好きだ。なぜならそれは根源的な問いだからだ。
一方で、ジョン・ロックは一見、土地の私的所有を認めているような感じがある。でも実際に『市民政府二論』を読んでみれば、彼は自分が耕して、自分が食べるための作物を作るだけの土地の私有を認めているにすぎない。
しかし、資本主義社会はそうは運営されていない。もっと多くの仕事、もっと多くの金、もっと多くの土地を持った者が評価される。僕らの体力も人生も、太古の昔から限界があるのに。「有限の世界で、物を作り続けることには限界がある。人間の数よりも家の方が多いというのはやはりおかしいのである。しかも、そこは値段が高くて住むことのできない人もいる。家は余っているにもかかわらず、人がそこを利用できないのである。人の住む場所が問題になっているのに、巨大な野球場があること自体がそもそも不思議な現象だと僕は思うのだが」(22)。
こういう古くて新しい、至極まっとうなことを、わかりやすい言葉で言う人が評価される時代がきてよかった。本質について自分の言葉で語ることの力を坂口恭平に教えてもらった。

2014年3月18日火曜日

坂口恭平『モバイルハウスのつくりかた』(竹書房)

坂口恭平『モバイルハウス、三万円で家をつくる』 (集英社新書)がすごく面白かったので、そのDVD版であるこれも見てみた。いやあ、いいなあ。見ながらずっと笑顔になってしまった。隅田川の鈴木さんや多摩川の船越ロビンソンなど、自力で家を建ててきた猛者が丁寧に坂口さんにやり方を教えてくれる。大人が本気になって秘密基地を作っているなんて、なんだか自由だ。土地を買わずに自力で家を建ててしまうということの思想的な意義も大きいけど、何より世代を越えた愛情と知識のやり取りが気持ちいい。坂口さん、いい青年じゃないか。

2014年3月17日月曜日

江國香織『江國香織とっておき作品集』(マガジンハウス)

収録されているデビュー作の中篇「409ラドクリフ」がとにかく素晴らしい。舞台はアメリカの大学で、日本から留学している女性とルームメイトのハンガリー人、そこに恋愛相手のナイジェリア人などが絡む。作品に流れている雰囲気、匂い、感覚は完全にアメリカで、実は江國香織は日本語でアメリカ文学を書いて作家になったのだということがよくわかる。彼女はこの作品でフェミナ賞を受賞した。
お互い日本に恋人がいるのに、異国での暮らしの寂しさに耐えきれず求め会ってしまう男女なんて、ジュノ・ディアス「もう一つの人生を、もう一度」の主人公が語る名言「どんな愛もこの海を越えることはできない」を思わせる。他にも、人種を越えた困難な愛、国籍を取るための偽装結婚、日本からやってきた人が過度に日本的に見えて少しひいてしまう感じなど、アメリカに住んだことがある人にすればどれも自分で感じた、あるいは見聞きしたことはあるようなトピックが次々出てくる。僕も読みながら、ロサンゼルスに住んでいた10年前の感覚に戻ってしまった。
今の洗練された江國香織とはまた違う魅力が味わえる。読者により入手しやすいかたちで再刊されることを強く願う。

2014年3月16日日曜日

坂口恭平『モバイルハウス、三万円で家をつくる』 (集英社新書)

いやあ、面白いね。坂口の体が動くと風景が違って見えてくる。たった3万円で家を作ると決意して多摩川の河川敷に行けば、ロビンソンさんという名の長老が現れて、凄まじい智恵を伝授してくれる。動いて、出会って、教わって、作って、考える。フィールドワークものになると坂口恭平は無敵だ。
ロビンソンさんの「なんでも簡単に買うのではなく、自分でつくったら〇円で手に入るし、好きなようにできるから楽しいでしょ」 というのは至言である。自分で作り、余ったものはどんどん人にあげてしまう。人間関係こそが財産。
ここにはレヴィ=ストロースのブリコラージュも、マルセル・モースの『贈与論』もある。「人が欲しがらないものを欲しがることこそが、寄生しない自由な生活を実現させる。」(116)なんて、まるで今西錦司の棲み分け理論ではないか。坂口の本を読むと心の風通しがよくなる。

2014年3月15日土曜日

坂口恭平『坂口恭平躁鬱日記』(医学書院)

強烈な文章が目白押しだ。これは坂口恭平の最高傑作なのではないか。2013年4月から7月までのほんの四カ月の日記なのだが、意識の流れのまま書いてある。読んでいて自由な気持ちになる。娘のアオちゃんと妻のフーに支えられ、彼女たちとの関係に多くを学びながら坂口恭平が生き抜いていくリアルな記録だ。子供の力ってものすごい。
もちろん躁状態の激しさと鬱状態の辛さは凄まじい。作中では主に薬物療法のみを行っているのだが、認知療法や食事療法など、他のやり方も併用したらいいのではと勝手に思ってしまった。こんなに面白い人に死なれたら困る。
医学書院の「シリーズ・ケアをひらく」はとてもいい。澁谷智子さんの『コーダの世界』も素晴らしかった。こうした本にこそ、僕は今、文学を感じる。

2014年3月14日金曜日

永井一郎『朗読のススメ』 (新潮文庫)

波平さんの声で知られた永井一郎の名著。スタッフの評価も観客の評価も忘れて、リラックスしながら、ただひたすら伝えたいイメージに集中する。そしてそれを繊細に表現する。「とちりたくない。上手に読みたい。笑われたくない。ほめられたい。感動させたい。自分、自分、自分。自分の欲望しか見えない状態。これではプレッシャー地獄です」(24)。自分地獄から出たとき初めて芸の世界が開けてくるのだ。
これは朗読だけでなく、翻訳にも、執筆にも、いや、どんな仕事にも当てはまることなんじゃないか。深いシンプルさが心を打つ。「自分を捨ててください。よいものも悪いものもみんな捨ててしまえばいい。必要なものはいつでも取り戻せます。」(59)もはや禅だ。我執の断捨離だ。
「技術は手に入れろ。手に入れたら忘れろ。」(157)は至言である。まさに現代の花伝書ではないか。

2014年3月13日木曜日

エーリッヒ・フロム『愛するということ』(鈴木晶訳、紀伊國屋書店)

凄まじいほどの名著。みんなどうしたら愛されるかばかり考えているが、本当は愛することが大切だ。そして愛することには努力と訓練が必要である。こうしたフロムの主張に驚愕する。だったら、愛されヘアもモテ仕種も金も地位も名誉も全く関係ないことになるではないか。現在の資本主義を形作っているものすべてを否定し尽くしたあとに残るのが愛することだというのは、もはや革命運動だ。
結局のところ僕も、自分の価値を高めることでより多く愛されたいという悲しいエゴマニアでしかなかったと思う。そんな自分の壁を乗り越えることができるのか。フロムの言葉がぴったりと心に寄り添ってくる。どうして今までフロムのすごさを誰も教えてくれなかったのか?

2014年3月12日水曜日

スーザン・ソンタグ『反解釈』(ちくま学芸文庫)

ものすごく厳密に、ぐうの音も出ないほど対象を追い詰めていく作家や批評家が僕は大好きで、なぜだかそれは女性が多い気がする。たとえばマーガレット・アトウッドやジョイス・キャロル・オーツなど、人のずるさや自己弁護を呵責なく暴く作家たち、スーザン・ソンタグやハンナ・アレントなど、凄まじい鋭さで徹底的に悪を論じきる批評家たちで、読んでいると本当に気持ちがいい。男らしいという言葉はこういう人たちのためにあるのではないか。
ソンタグの『反解釈』は、「キャンプについてのノート」という論文がいい。現代における不自然の美学について論じたこの文章を読んでいると、アンディ・ウォーホルの映画の感じとかが甦ってくる。僕はこういうものが好きなんだな、と素直に思える。なまじっかなポストモダンの理論より、よっぽど現代の芸術のあり方をしっかりと掴んでいる。ジョージ・ソーンダーズやジェフリー・ユージェニディスなんかの現代アメリカ文学を読む上でもすごく役に立つのではないか。

2014年3月11日火曜日

多和田葉子『エクソフォニー』 (岩波現代文庫)

東京外国語大学に多和田葉子さんが講演で来たことがあって、そのとき客席で彼女の朗読を聞いていて度肝を抜かれた。同じ文章の中で日本語とドイツ語が交じりながら対話している。わからないのにわかる。そしてとても楽しい。それはちょうど、ロサンゼルスのバーガーキングでスペイン語と英語を自由に行き交う女の子の話を聞くともなく聞いていた10年前の自分の体験とも似た感覚で、言葉って意味だけじゃないんだな、とあらためて気づかされる。
講演の後の打ち上げは本当に多言語で、ドイツ語、ロシア語、イタリア語が行き交い、本当はしゃべれるのにほとんど誰も英語はしゃべってくれないという、すぐに英語に頼ってしまう僕にとっては教育的かつ少々大変な会だった。 そして僕は、日本語と英語で意志を通じることができたらなんとかなる、という自分を恥じながら、もっとフランス語やろう、スペイン語やろうとこっそり心に誓った。
多和田葉子のこの本は、外語大で僕が体感した衝撃をエッセイの形でしっかり見せてくれている。「人はコミュニケーションできるようになってしまったら、コミュニケーションばかりしてしまう。それはそれで良いことだが、言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない。」(157)といった言葉が僕に突き刺さる。
日本の常識からさらりと抜け出す多和田葉子の視点も好きだ。「日本人が野蛮人ではない理由は、革靴だけが文明なのではなく足袋も文明なのだという単純な理由からなのだが、そういう考察は省略されてしまって、日本人はお金を持っているから野蛮人ではない、という変な形で傷を癒そうとしていた時代に、わたしはまさに生まれ育ったことになる。」(13) なんて、近代日本の完全な否定だよね。こうした文章を読むと、自分の中に革靴だけが文明だ、という滑稽な信念がいまだあったことに気づいて、くすりと笑い、そしてちょっとだけ楽になる。
共同体論もいい。「あらかじめ用意されている共同体にはロクなものがない。暮らすということは、その場で、自分たちで、言葉の力を借りて、新しい共同体を作るということなのだと思いたい。」  (32)なんて、アレクサンダル・ヘモンが言っていた、ナショナリズムとは違う形での共同体という議論にも通じる。それにしても、生きることそのものが新たな共同体づくりだなんて、多和田さんって本当にかっこいい。

2014年3月10日月曜日

『孫子』(町田三郎訳、中公文庫)

中国の古典っていいよね。言葉が簡潔で内容が深くて。『孫子』なんてすぐ読み終わってしまうけれど、すごい洞察がいっぱいある。
戦争がうまい人は勝っても派手ではないから「知恵者としてももてはやされず、勇者のいさおしも口にされることはない。」(29)なんていい。褒められるうちは大したことないのか。
「将軍がおずおずとひかえ目な口調で兵士に話をしているのは、兵士の信頼を失ってしまっているからである。しきりに褒賞を与えているのは、苦慮しているのである。しきりに罰しているのは、困惑しているのである。」(74)なんて、教育論としても読めそうだ。

2014年3月8日土曜日

ロバート・J・ドーニャ、ジョン・V・A・ファイン『ボスニア・ヘルツェゴビナ史』(佐原徹哉他訳、恒文社)

ボスニアの歴史が知りたくて読んだ。ビザンチン帝国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国と、複数の巨大国家の狭間で、もともとは同質の人々がギリシャ正教徒、ムスリム、カトリックになり、そこに西欧的なナショナリズムがやってきて凄惨な殺し合いになる。なぜこんなことが起こるのか。ナショナリズムの外側は存在しえないのかについて深く考えさせられる。
ユーゴスラビア内戦はそのままヨーロッパの定義を巡る戦争だとジジェクは言っていたけれど、ヨーロッパって一体なんなんだろう。一つの大きな定義は、「トルコじゃない」「ムスリムじゃない」というやつなんだろう。とすれば、1000年経っても基本的思考の枠は変わっていないことになる。あるいは、ムスリムの存在こそヨーロッパの定義に必要だとすれば、ヨーロッパそのものの中にムスリムが否定形の形で含まれていることになる。こんなふうにジュディス・バトラー的に考えてみてもいい。
とにかく、何も共通するものがない共同体は不可能なのか、という問いが込み上げてくる。なんだかわからないけど結構いいやつだよ、とか、笑顔がいいね、とかではダメなのか。ダメじゃないと言い張りたい。それこそが文学の役割なのだから。

2014年3月7日金曜日

内田樹・中田考『一神教と国家』 (集英社新書)

びっくりするほど面白い。それは知らず知らずのうちに、ヨーロッパ中心主義、キリスト教中心主義が僕らの主観の中に忍び込んでいるからではないか。イスラムやユダヤ教から見てみるとまた世界が違ってくるのを体験できるのがいい。
内田樹がレヴィナスについて語っている「一神教とは、要するに寡婦、孤児、異邦人があなたの家の扉を叩いた時に、扉を開き、飢えた者には食べ物を与え、裸の人には着る物を与え、屋根のない人には一夜の宿を貸すことだ。これが信仰のアルファであり、オメガである。そう言うのです。」(88)という言葉に心が震えた。弱き者の生存を守る、もう一つの倫理的なグローバリゼーションは可能かという問いは重い。
現行のグローバリゼーションに対抗しながら、身体感覚や皮膚感覚を重視しながら、生身の信頼関係を基礎に小さな共同体を造る、というアイディアも素晴らしい。

アレクサンダル・ヘモン『我が人生の書』

切なすぎて心が引きちぎられそうになる本。いずれも優れた短篇集や小説を発表してきたヘモンにとっては最初の回想録である。最終章「水槽」(The Aquarium)で、幼い娘の死を描いたシーンにはまさに言葉を失ってしまう。
もちろんいつものヘモンらしく、ユーモアにあふれた、心温まる部分もいい。シカゴで様々な国から来た人たちが草サッカーに興じるエッセイもよかった。ヘモン作品の背景を知る上でも最高の書物だ。
Aleksandar Hemon. The Book of My Lives. New York: Farrar, Straus and Giroux, 2013.

2014年3月5日水曜日

内田樹・中沢新一『日本の文脈』(角川書店)

やっぱりこの人たちは面白い。思いつくままに会話を楽しんでいるだけなのに、いいアイディアがどんどん出てくる。まさにワークショップの鑑。きっとお客さんの脳味噌もぐんぐん動いていたことだろう。
二人に共通しているのは、近代の人間がパッと頭で考えたことなんて大したことない、という認識で、そこに自然や身体や古代からの生活感覚、そして超越的な存在が言及される。コントロールできないものの前で謙虚になることこそ本当の知性なのだろう。本当に近代の人間って、なんでこんなに思い上がっているんだろうね。
キー概念は贈与で、返しきれないものをいただいた、という感覚が人間を結びつける、という指摘が心に残る。
久しぶりに、人類学的な視点の喜びを感じることができた。なにより、 二人とも人を読書に誘う力がすごい。さあ、モースを、レヴィ=ストロースを、そしてレヴィナスを読もうではないか!

毎日新聞にブコウスキーについて書きました

3月4日付けの毎日新聞にブコウスキーについて書きました。
『くそったれ! 少年時代』や『勝手に生きろ!』などやんちゃな自伝的作品で知られるブコウスキーですが、その裏には幼少期に父親から受けた虐待の影響が深くあるようです。ただかっこよくて面白い、というだけではなく、作品の奥にある深い悲しみが見えてくると、より彼の著作が愛おしくなってきます。

2014年2月25日火曜日

石牟礼道子・伊藤比呂美『死を想う』(平凡社新書)

日本ってこんなに豊かで深い言葉に満ちた場所だったのかと思う。刺されて死んだ遊女の思い出や、アメリカ軍の飛行機の機銃掃射を間近で見る体験に、『梁塵秘抄』や浄土真宗の言葉が響きあう。農民の想い、浄土への祈りが広大なアジアにまで広がっていく。時間も、空間も、複数の言語も超えた共振の空間が日本なのに、そこへのアクセスを失った僕らはなんと貧しいことか。石牟礼道子の紡ぐ言葉を、もっと遠くまで辿っていきたい。

2014年2月24日月曜日

ジョナサン・カラー『新版ディコンストラクション』(富山太佳夫・折島正司訳、岩波現代文庫)

困ったときのジョナサン・カラー頼みということ言葉があって、というかないのだが、ディコンストラクションだろうがなんだろうが、この人の手にかかるとなんでもよくわかる。この本もそうで、難しい概念や論述の流れが、実にわかりやすく解説されている。たとえばこの本を読んでからポール・ド・マンの『読むことのアレゴリー』なんて読むと、まあよく分かって嬉しくなる。
おそらく普段のカラーもすごくいい先生なんだろうな、と思う。教師として必要なのは大胆な単純化と、難しそうな本もとにかく読んでみようという勇気を学生に与えることの二つで、カラーはどの本でもその両方を見事になし遂げている。
僕は30歳くらいになってからようやく大学院でちゃんと教育を受けたので、自分より10歳ほど下の人たちと気分を共有してきた。そしてその結果として、上の世代の政治理論嫌いにも、下の世代のディコンストラクション嫌いにもなじめない。理論の初心を知れば、デリダだってサイードだってものすごくちゃんとしている。
そこらへんのコミュニケーションギャップを埋めてくれるのがカラーだ。だから信頼できる。

2014年2月23日日曜日

江國香織さん、ジュノ・ディアスさんと鼎談します

3月1日に渋谷タワーレコードのカフェで江國香織さん、ジュノ・ディアスさんと鼎談をします。
http://tokyolitfest.com/program_detail.php?id=34
タイトルは「短編小説で学ぶ「失恋入門」」です。江國香織さんの『きらきらひかる』『神様のボート』など英語版がある作品と、ディアスさんの『こうしてお前は彼女にフラれる』なんかの話ができればなあ、と思っています。意外な取り合わせにも思えるでしょうが、 江國さんはディアスさんの短篇集に、熱烈な書評を書いてくださっています。
http://mainichi.jp/shimen/news/20130929ddm015070047000c.html
どういう話になるのか今から楽しみです。

ポール・ボウルズ『優雅な獲物』(四方田犬彦訳、新潮社)

ボウルズはすごい。あまりにも残酷すぎて笑ってしまう。すぐに人が殺される。慰み物として売られてしまう。作品が近代文学の外側に易々と出て行く。いや、これは文学なのかもわからない。人類学なのか、神話なのか、妄想なのか。とにかく、アメリカ現代文学の枠組みでは全くわからないのは確かだ。
『優雅な獲物』も、モロッコの人々が主に登場する。翻訳の文章が素晴らしい。物語の展開の速さと強度に圧倒される。実にいい本だ。もちろん版元品切れである。あーあ。
20年前はあんなにボウルズをみんな読んでいたのに、どうして今は『モロッコ幻想物語』しか買えないのか。しかも収録されているのはボウルズの主要作品ですらない。みんなすぐに物事を忘れすぎだよ。

2014年2月22日土曜日

紀伊国屋書店新宿南店でワタシの一行フェア

紀伊国屋書店新宿南店で「ワタシの一行」というフェアを行っています。
これも東京国際文芸フェスティバルがらみなんでしょうか。

僕はジュノ・ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』から一行選びました。ご興味があれば。

GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01

『GRANTA JAPAN with 早稲田文学 01』が3月1日に発売されます。
僕はタオ・リンの『ファイナルファンタジーⅥ』という短篇を翻訳しています。明らかにタオ・リンだと思われる主人公が、『ファイナルファンタジーⅥ』をやったり太宰治『人間失格』を読んだりしながら、台湾人の両親と日本について語り合う、という作品です。なんてことない話しか書くまい、という最近のタオ・リンの凄味が詰まった作品です。
RPG関連の監修はジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』に続いて岡和田晃さんにやっていただきました。これほど何でも知っている人が他に世の中にいるんでしょうか。僕よりかなり若い方ですが、本当に尊敬しています。
他にも、目次を見るとなにやら楽しそうな雑誌になっています。今回はイギリス側が日本の作品をチョイスしているので、海外の人にはこういう作家が面白いんだ、ということがわかるのも興味深いです。

村田沙耶香「清潔な結婚」
岡田利規「ブレックファスト」
デイヴィッド・ミッチェル「ミスタードーナツによる主題の変奏」(藤井光訳)
ルース・オゼキ「つながり」(久保尚美訳)
中島京子「おぼえていること、忘れてしまったこと」
タオ・リン「ファイナルファンタジーVI」(都甲幸治訳)
川上弘美「Blue moon」
小山田浩子「彼岸花」
ピコ・アイヤー「パッケージの美しさ」(小山太一訳)
キミコ・ハーン「日本の蛍烏賊を見ると」(阿部公彦訳)
濱田祐史「Primal Mountain」 アンドレス・フェリペ・ソラーノ「豚皮」(柳原孝敦訳)
円城塔「Printable」
デイヴィッド・ピース「戦争のあと、戦争のまえ――九曲橋の上の芥川龍之介、上海、一九二一年」(近藤隆文訳)
アダム・ジョンソン「屍肉食動物(スカベンジャーズ)」(堀江里美訳)
うつゆみこ「はこぶねのそと」
本谷有希子「〈この町から〉」
レベッカ・ソルニット「到着ゲート」(高月園子訳)
星野智幸「ピンク」
横田大輔「from Site」

菅原裕子『子どもの心のコーチング』(PHP文庫)

またもや名著である。褒めない、叱らない、物でつらない育児というのが衝撃。褒めるのは依存させて精神的に支配しているだけ、叱るのは親の感情の捌け口にしているだけ、もちろん物でつるのは問題外。だとすればどうすればいいのか。
「人の役に立つ喜び」を教えるというのが菅原さんの答えである。「新聞をとってきてくれたからおかげで読めて嬉しいよ。ありがとう」と親に言われたら子どもはどれだけ喜ぶか。人の役に立つことこそが人間の根源的な喜びであると菅原さんは論じる。 これは僕にとっては革命的な考え方だ。だってそうでしょう。人の役に立つには必ずしも優れている必要はない。自分なりに、ちゃんと相手のことを考えればいいのだから。優れていなくても、平凡でも、存在しているだけで十分に生きている価値がある、というのが菅原さんの著作全体が発しているメッセージだと思う。
「人の役に立つ喜び」を実感させるには、声を掛ける方が自分の感謝や喜びなどの感情をきちんと言葉にすることが必要だと菅原さんは言う。うーん、客観的・論理的に語る訓練は学校で受けてきたけど、自分の感情に焦点を当ててちゃんと言葉で表現するのは難しいよね。でも良い感情を贈物として交換できる関係があれば素晴らしいということはよくわかる。こういうのも練習かな。

2014年2月21日金曜日

3月3日アレクサンダル・ヘモンと対談します

3月3日19時からアレクサンダル・ヘモンと紀伊国屋書店新宿本店で対談します。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20140220211142.html
http://tokyolitfest.com/program_detail.php?id=53
『我が人生・我が文学』というタイトルで、去年出た自伝的エッセイThe Book of My Livesを中心に作品について縦横に語っていただきます。僕はボスニア出身のアメリカ作家ヘモンの奇妙な味の短篇が大好きなので、一体どんなふうに思いついているのか、なんて話も聞いてみたいなあ、と思っています。ご興味があれば。

ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』 (作田啓一訳、白水Uブックス)

今まで読んだルソーの本のなかではこれがいちばん好き。
共同体がなければ社会的な自由はないとか、権力はすべて人民に由来しており、政府は単に委託されているだけだとか、言われてみれば当たり前だけど、日本では必ずしも常識になっていないアイディアが満載である。一言で言えば、政府は自分たちが自分たちのために作るんだ、という意志だろうか。
 ルソーは日本ではいまだ未来の思想家なのだろう。「市民がいっそう人口を増し、ふえてゆくような政府こそ、間違いなく最良の政府である。」(127)なんてものいい。根本的に考えることの力を教えてくれる本である。

2014年2月20日木曜日

紀伊国屋書店新宿南店6階でフェア


紀伊国屋書店新宿南店6階でフェアをしています。
月末から始まる東京国際文芸フェスティバルと、『グランタ』日本版発刊にちなんで、フェスの来日作家と『グランタ』日本版、そして過去の号に掲載された作家の作品30冊ほどを選んでみました。全冊コメントを考えました。近日中にポップが林立するのではないかと思います。ご興味があれば。

2014年2月12日水曜日

江國香織『きらきらひかる』(新潮文庫)

夫がゲイで妻が精神不安定って、人を愛することについて考える上で最高の設定だと思う。セックスがなくて、なんとなく互いの存在に慣れることもないってことだから。愛の痛みと喜びを感じさせてくれる作品。江國香織の小説は擬音っぽい表現がいい。「とろっと深い金色」みたいな。こういうのだけで幸せになる。

2014年2月10日月曜日

小山田浩子『穴』(新潮社)

犬のような狸のような名前のない動物、イタチ、アロワナなど、動物たちが異界に誘ってくれるというのはいい。村上春樹の猫みたい。40年くらい前の感じの子どもたちが河原でたくさん遊んでいる場面が美しかった。

2014年2月9日日曜日

菅原裕子『コーチングの技術』(講談社現代新書)

最近、教えることについて悩んでいた。親切に教えれば教えるほど、むしろ相手の考える力や生きる力を奪っているのではないか、という疑問にさいなまれていたのだ。この本は明瞭にこの疑問に答えてくれた。
ヘルプとサポートの二つの概念について菅原は語っている。ヘルプは、飢えている人に魚を釣って与えてあげるようなこと。社会的には褒められるし、相手にも感謝されるが、結局永遠に相手は一人では生きられるようにならない。 死なないでいる人を作るだけの手法だ。しかも相手を自分に依存させてしまう。反対にサポートは、魚の釣り方を教えてあげるようなことだ。魚を釣って生きるという相手の潜在能力が発揮されるように仕向け、最短で自分から相手を独立させる。依存関係も発生しない。
これは目から鱗だった。僕は自尊感情が欲しくて、今まで相手を自分に依存させていたのかもしれない。じゃあどう変わればいいんだろうか。
菅原は言う。ティーチングからコーチングへの変換を遂げればいいのだと。ティーチングとは、能力がなく知識がない相手に上から授けること。これには限界がある。コーチングは、潜在能力があり、十分に知識を持っている相手に、それを発揮できるような支援をすること。重要なのは、ティーチングもコーチングも相手そのものは同じだということである。ただこちらの見方が違うだけなのだ。
確かに、働きかけられる方の立場から考えれば、自分を尊敬してくれない相手に何かをやらされるくらい嫌なことはないよね。コーチングについてもっと学びたくなった。名著。

2014年2月8日土曜日

江國香織『神様のボート』(新潮文庫)

母と娘がさまよっている。ある土地に慣れると、すぐに引っ越してしまう。おまけに古い友人や親族にも連絡を取らない。なぜか。女のお腹に子供ができていることも知らぬまま、男が姿を消してしまったから。必ず戻ってくる、どこにいても見つけてみせると言ったから。そして瞬く間に16年の月日が流れてしまう。
必ず戻ってくるという約束を、母は頑なに信じている。こうなるとまるでキリストだ。そしてその信念を貫くために、家庭と世界のあいだには堅い壁を張りめぐらされる。一人でやっているならいい。でも娘を巻き込んだとき、それは極小のカルトになる。その中にいることがどれほど心地よくても、むしろ心地よければよいほど危険さは増す。
それにしても、母娘の関係というのはキツいなあ。お互いにいちいち言わなくても心の動きがわかりすぎるほどわかってしまう。でも黙って娘が母親の言いなりになんて、とてもなっていられないほど、全くの別人だ。しかも娘は、自分の意見を言いながら同時にお母さんがかわいそうだと思う。けれども言わなければとても生き続けられない。こういう共依存っぽい関係は普通のことなんだろうか。
娘がこの極小の世界をどう断ち切るかが圧巻である。そして男は戻ってくるのか。戻ってきたとして、それは現実の世界での出来事なのか。家族、救い、物語、愛情など、様々なことを考えさせてくれる。感情を巻き込むあまりの力に、読後しばらく酔ってしまった。

堀部篤志『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン社)

僕が日本一好きな書店である、京都の恵文社一乗寺店の店長が書いた本。たまたま以前、恵文社一乗寺店に行ったとき、トキメキの量が半端ないのにただただ驚いた思い出がある。こんな本がある、古本もある、なんだか雑貨もある、出会いが嬉しいだけでなく、同じ本が違う文脈で複数の場所にあるのに驚いた。フロアの中央部に奇妙な感じでトイレがあるのにも驚いた。どうしてこんな書店ができあがったんだろう。それからすごく気になっていた。
そのあと作家の松田青子さんに会ったとき、 恵文社一乗寺店の店員だったことがあると聞いて棚をどうやって作っているのか訊いたことがある。店長は店員に棚をまかせて好きにさせてくれる、と教えてくれた。好きを全面に出しても許される雰囲気づくりが大事なのかな、と思った。
この本で堀部さんは、インターネットとかグローバリゼーションとかに対抗するあり方を模索している。お金をかけない、手作りに徹する、実際に会って顔を見ながら話す、自分の好きな気持ちに正直に商品を選ぶ。どれも流行とか効率とか大儲けとかとは無縁で、だから信頼できる。みんな同じことをやっていてもつまんないもんね。

2014年2月4日火曜日

江國香織『つめたいよるに』(新潮文庫)

8ページほどしかない超短篇が詰まった本。最初の「デューク」でもうノックアウトされた。犬が死に、悲しみに暮れて町をさまよう女性に男の子が声を掛けてくる。理由など訊かずとにかく一日付き合ってくれ、最後にキスをしたとき、その感触で彼が犬のデュークだったとわかる。ああ。一本ごとに感情が高まりすぎてなかなか読み終わらない。200ページしかないのに。実らぬ恋に少女が鳥に変わってしまう「桃子」も良かった。エイミー・ベンダーみたいな不思議な短篇が好きな人におすすめ。

2014年2月1日土曜日

毎日新聞にダン・ファンテについて書きました

2月4日付け毎日新聞『世界文学ナビ』にダン・ファンテについて書きました。
『天使はポケットに何も持っていない』(河出書房新社)を読むと、ジョン・ファンテ、チャールズ・ブコウスキーときたロサンゼルス文学の流れはまだまだ枯れていないことがよくわかります。アル中の主人公が父親の死に際して、泣きながら、吐きながら、苦しみながら、やがて父親の遺志を継いで作家になろうと思う気持ちの赤裸々さに胸が掻きむしられます。本当にいい本です。
他にもダン・ファンテにはいい本がいっぱいあるのですが、ぜんぜん日本語訳が出ません。というか、唯一の日本語版も版元品切れです。なぜ? いつか訳してみたい作家の一人です。

町田康『人間小唄』解説書きました

町田康『人間小唄』の解説を書かせていただきました。人生最初に書く文庫解説が尊敬する町田さんの本だなんて、あまりにもったいなさすぎます。素晴らしい機会を与えてくださった町田さんと講談社文庫のみなさんには本当に感謝しています。
内容についてですが、町田康作品に流れる革命感覚をルソー『人間不平等起源論』や安丸良夫『日本の近代化と民衆思想』に触れながら論じました。ルソーも『告白』、町田康も『告白』、なんて書いていたらノッてきてしまいました。
こういう町田作品の理解の仕方もあるんだと思っていただければ嬉しいです。

トニ・モリスン『ホーム』帯文書きました

トニ・モリスン『ホーム』(早川書房)の帯文を書かせていただきました。人生初の帯の仕事でドキドキでしたが、やってみたら楽しかったです。やっぱりこの『ホーム』という本が素晴らしいからだと思います。主人公の男性が、こっそり人体実験をしている医者の家から妹を救い出す、そして彼女をコミュニティの女性たちが伝統療法のようなもので癒すという話ですが、モリスンはとにかく文章の力が凄まじいです。ノーベル賞作家であるモリスンを知ってはいても敬遠しているという人も多いでしょうが、読まないと人生の楽しみを損していると思います。

2014年1月27日月曜日

エドワード・W・サイード『人文学と批評の使命』(岩波現代文庫)

これを読めば誰でもサイードのファンになってしまうのではないか。効率ばかりの世の中で人文学は、一見無駄なことをし続けることを通じて、きちんと批判的に考え続けるための防波堤になれる、と言われるとそうかそうかと思う。もちろんその先を考えるのは残された僕らの役目なんだけどね。
先日"The World, the Text, and the Critic"という彼の論文を読んで知的なレベルのあまりの高さに圧倒された。後書きで富山太佳夫が言う、いまだド・マンとサイードが英語圏現代批評の二大高峰であるという言葉は完全に真実だと思う。

佐藤優『甦るロシア帝国』(文春文庫)

とにかくモスクワ大学で佐藤が教鞭を取っていたころ、どう学生と触れ合っていたかのところが素晴らしい。知的に持てるものすべてを真剣に差し出し、ときには過剰とも思えるほど彼らを支えてしまう。ロシアの将来のエリートを支えることは、対日感情を良くするという点で日本の国益にもなる、なんて言っているが、それだけではないことは教師をやったことがある者は誰でも知っている。目の前に伸びている人がいれば、単純に手を差し延べたくなるものだからだ。それはおそらく、その場所に命が湧き出ているのを感じるからだろう。
だからこそ、崩壊する経済の中、家族を支えるために金持ちの愛人になってしまう学生の場面は悲しい。でもそれで人生終わりじゃないんだよね。学ぶことはずっと続くんだから。

2014年1月19日日曜日

佐藤優『私のマルクス』(文春文庫)

浦和高校から同志社大学神学部にかけての自伝的エッセイ。というか、もうこれは小説でしょう。同志社大学の濃密な人間関係に嫉妬する。自分が過ごした大学時代とのあまりの違いに驚く。こんなふうに、尊敬と熱意を持って対話を続けるというのはいいなあ。神学部の教師たちの思慮深い振る舞いに胸が熱くなる。大学は真理を求めるところ、という佐藤の思いに心揺さぶられた。さて、今、僕に何ができるんだろう。

スピヴァク『ある学問の死』(上村忠男・鈴木聡訳、みすず書房)

スピヴァクが現代における文学研究のあり方について語っている本。ちゃんと外国語を学んで、じっくり時間をかけて、テクストに書いてあることを尊重しながら、他者に対する想像力を駆使して読むという地道な作業を続けること。そして決してわかったつもりにならないこと。こうしてまとめてしまえばあまりにも当たり前なことを、スピヴァクは本一冊を費やして延々と語る。
スピヴァクのこの作業が無意味ではないのは、僕らが短時間で、効率よく、情報をまとめて結果を出す、というイデオロギーにあまりに取り込まれてしまっているからだ。時間をかけてわからなさに向かい合うという気持ちがなくなったら、文学も人間関係もおしまいだよね。

2014年1月15日水曜日

佐藤優『人間の叡智』(文春新書)

現代を生きるためにこそ古典を読まなくては行けないというメッセージがいい。マルティン・ブーバー『我と汝』の話が良かった。僕らは人間をモノ扱いしてはいけないのだ!

ゲイリー・シュタインガート『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』(NHK出版)

1月10日の『週刊読書人』にシュタインガートの書評書きました。前々から気になっていたシュタインガートだけど、結局日本語で読むことになってしまいました。テンション高めのギャグは最初どうなんだろう、と思ったけれど、結局はシリアスな主題に移行するための前置きなのでした。内乱状態になったアメリカ合衆国でインターネットがダウンし、繋がらなくなったスマートフォンを握りしめて次々と若者が自殺するところなんて最高です。どうして人生には老いや死があるのかという問いはドン・デリーロ『ホワイトノイズ』にも通じますよね。

2014年1月14日火曜日

中村うさぎ・佐藤優『聖書を語る』(文春文庫)

この対談がすごいのは、中村うさぎの言葉づかいが男っぽく、佐藤優の言葉づかいが女っぽいことだ。しかも佐藤は言論界におけるマッチョ主義への違和感も語っている。うーん、パフォーマティヴ。「他者に対して心を開く力は人間の手が届かない外部から来る」という彼の認識がいい。敬虔さと謙虚さの力。

ポメラ

最近ポメラのDM100を使っている。これ、ウェブも印刷もできない、言ってみれば単なるワープロなんだけどそこがいい。目が疲れない、体が疲れない、心が疲れない。しかもインターネットと繋がらないから仕事をするしかない。これでじわじわ翻訳なんかやっていると気持ちいい。なんでもできるスマートフォンのあとは、ほぼ何にもできないこうしたものがくると思う。単機能、あるいは無機能がかっこいい。なんだか禅みたい。

2014年1月8日水曜日

佐高信・佐藤優『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える1000冊」(集英社新書)

読書家の二人が凄まじい勢いで本について語り合う本。やっぱり佐藤優は面白い。古くていい本をたくさん読むことでしか人間は鍛えられないとよくわかる。
佐藤優の強みは、何といっても沖縄系二世であることなのではないか。だからこそ、日本をウチナーとヤマトという二つの視点から見ることができている。  日本という枠組みをちゃんと自由に出入りできる人は日本語圏にはすごく少ない。佐藤優の作品もまた、日本のマイノリティ文学として考えるべきだと思う。

鎌倉孝夫・佐藤優『はじめてのマルクス』(金曜日)

マルクス『資本論』を巡る師弟対談。現代社会において「カネ」と「命」のどちらが大切かという問いがこの上ないほど切迫して提出されているという鎌倉先生の問題意識に共感する。
「教育というのは、それぞれが自分の専門を生かしながら、みんなが協同して、子どもたちというか学生たちと直接触れあい、教育を行ないながら、彼らのいろいろな悩みとか希望を聞く。人間と人間の直接の関係ですから、毎日毎日状況は変わりますよね。ですから教育の仕事というのは、それこそ創造的なんです。それが教育の基本なんです。」(76ページ)という鎌倉先生の言葉に心が大きく動いた。同時に、僕も教師として教育の仕事ができている幸福と責任を痛感した。
まず自分ができることとして、家族でも教育現場でもいい、カネの介在しない関係を大切にすることだ、という鎌倉先生のお考えに大きくうなずく。

2014年1月2日木曜日

名越康文・藤井誠二『40歳からの人生を考える 心の荷物を手放す技術』(牧野出版)

挑戦し続けるのはいいことだ。でも体力には限界がある。体の使い方には法則がある。だから無理は続かない。そんなことも分からないで生きてきてしまうから、40代で突然辛くなる。ときには心も病む。
それが当たり前のことだと実感できないところに、日本の男性の生き方の問題がある。だって、誰も休み方とか、体を痛めない動き方とか教えてくれないからね。それで鬱になっても腰痛になっても文句は言えない。むしろ体の側からのこれ以上ないほどリアルな教育なのではないか。
対談であるこの本では、体の声を聞き、自分を超えたものへの敬虔さを持つことが生き延びるための筋道であることが繰り返し論じられている。貝原益軒『養生訓』でも『歎異抄』でもとっくに言われていることだけど、それでもまだ僕らは気づかない。
現代の資本主義は無限の拡大と蓄積を目指すけど、僕らは生き物だから、そんなこと続けられないんだよね。できるのは質的な向上と削ぎ落とすことだけだ。そうしたことについて考えさせてくれる本。